研究社 会社案内 採用情報 サイトマップ 書店様向け 教育現場向け

研究社 WEB マガジン Lingua リンガ

 

 

第9回 V 時代語@時代ならびに翻訳・新春特別対談編

 

 

 つつがなく新年をお迎えのことと存じます。本年もどうぞ、よろしくお願い致します。

 平成最後の年末年始特別企画として、『研究社 Web マガジン Lingua(リンガ)』で連載中の「〈役割語〉トークライブ!」と「Web 版! 読み解き方言キャラ」が相乗りにて、ヴァーチャル日本語(V 日本語)をテーマにお送りしている特別対談編の後半を気分も新たに「〈役割語〉トークライブ! 第9回 V 時代語@時代ならびに翻訳・新春特別対談編」(2019年1月号)としてお届けします。

 新春編では、世界のムラカミ作品とその翻訳における V 方言や、「時代らしさ」を表す V 時代語にも注目します。新春対談らしく? V 日本語研究における今年の課題なども語り合っており、これまた盛りだくさんな内容となっています。「福袋」となっているかはともかく、わちゃわちゃ感はお楽しみいただけるのでは … 。

 それでは新春編の始まり始まり 〜 。村上春樹作品とその翻訳についての話題からスタートします。


(研究社応接室にて。2018年11月24日)

 

【新春編: 目次】

◆「村上春樹翻訳調査プロジェクト」
◆「イエスタデイ」に登場するニセ関西弁キャラ
◆「イエスタデイ」のニセ関西弁はどのように訳されたか
◆英訳版『海辺のカフカ』にみる関西弁台詞
◆『海辺のカフカ』「ナカタさん」台詞のさまざまな訳し方
◆村上作品以前の近代小説に現れる方言キャラ
◆『騎士団長殺し』に出てくる「〜 あらない」が文楽にも!
◆「あらない」は関東方言にルーツあり?
◆「奴ことば」はヒップホップ!?
◆時代劇と関西弁キャラ
◆水戸黄門検討委員会を立ち上げましょう!

 

 「村上春樹翻訳調査プロジェクト」 

田中: 大阪大学文学研究科・金水研究室では、このところ院生や役割語研究会のメンバーとともに「村上春樹翻訳調査プロジェクト」を進めているようですね。

金水: ええ。役割語・キャラクター言語研究の観点から、村上春樹の小説作品の原著と各国語による翻訳書との対照を通じ、キャラクターを言語によっていかに翻訳するかという問題を考えていくための基礎研究と位置づけています。なぜ村上春樹かというと、彼の小説作品は非常に多くの国・地域で翻訳され、世界中に読者を持っている上に、キャラクターの書き分けが多彩で、役割語・キャラクター言語の観点からとてもおもしろい題材を提供してくれるからです。

これまでに、社会言語科学会第40回研究大会ワークショップ「役割語・キャラクター言語から見た翻訳研究―村上春樹作品を中心に―」(2017年、於:関西大学)や、『村上春樹翻訳調査プロジェクト報告書(1)』などの成果も出しています。

V 方言との関連の深いところとしては、山木戸浩子先生(藤女子大学)が「日本語の文学作品における〈関西弁〉の翻訳―村上春樹作品を中心に―」というタイトルで、役割語研究会(2018年7月28日、於:大阪大学)において、村上春樹作品における方言キャラについて発表されているんですよ。

目次に戻る

 「イエスタデイ」に登場するニセ関西弁キャラ 

田中: 村上作品で方言キャラといえば、すぐに思い浮かぶのはベタなニセ関西弁とニセ東京弁の男性キャラの出てくる「女のいない男たち 2 イエスタデイ」(『文藝春秋』2014年1月号)ですが?

金水: 「イエスタデイ」の「木樽(男性)」だけでなく、「アイロンのある風景」(『神の子どもたちはみな踊る』所収、新潮社、2000年)の「三宅さん(男性)」、『海辺のカフカ』(新潮社、2002年)の「大阪からやってきた中年夫婦」、『アフターダーク』(講談社、2004年)の「コオロギ(女性)」とかの関西弁キャラとその英語翻訳についてのご発表です。

田中: 研究会のご発表はうかがいたかったのですが、残念ながら参加できませんでした。論文化されたところで、ぜひ拝読したいと思います。山木戸先生のご研究は、「日本語の文学作品における言語変種の英語翻訳―村上春樹(著)『海辺のカフカ』ナカタさんの話し言葉から考える―」(『通訳翻訳研究への招待』19、2018年)を拝読しました。

「イエスタデイ」は、個人的にも初出の『文藝春秋』掲載時からニセ方言キャラ造形としては驚くほどベタだなぁ … と注目していたので、単行本(『女のいない男たち』所収、文藝春秋、2014年)、英語翻訳(“Yesterday” in Men Without Women: Stories translated by Philip Gabriel, New York: Alfred A. Knopf, 2017)、いずれもリアルタイムでフォローしてました。

なんで「イエスタデイ」に注目したのかというと、完全にニセ関西弁とニセ東京弁――作中では、前者を「ほぼ完璧な関西弁」、後者を「ほぼ完璧な標準語(東京の言葉)」って呼んでますけど――の話だからなんですよね。

「イエスタデイ」は、主人公の「僕」の親友の木樽が歌うビートルズのメロディーに乗せたニセ関西弁の歌からはじまるんですよね。「昨日は/あしたのおとといで/おとといの/あしたや/それはまあ/しゃあないよなあ」(初出)と。[1] でも、木樽は東京都大田区田園調布の生まれ育ちかつ在住の浪人生だからニセ関西弁キャラ。「僕」は例によって関西育ち、この作品では兵庫県芦屋の生まれ育ちなんだけど、大学進学を機に東京に出てきて「一ヶ月ほどして」「ほぼ完璧な標準語(東京の言葉)」を「流暢に」話すようになったニセ東京弁キャラ。

木樽のニセ関西弁は「一念発起」の上、大阪天王寺に「ホームステイ」までして「後天的に学んだ」もの、「僕」の場合は「カメレオン的な性格」と「言語的な音感が人より優れていたのかもしれない」ということで自然「関西弁を使わなくな」った結果による「ほぼ完璧な標準語(東京の言葉)」ということが物語の導入部に示されています。

木樽には「熱狂的な阪神タイガースのファン」で、ファン交流のために「関西弁」が必要だったと述べさせ、「僕」には「東京で新しい生活を始めたかった。自分であることの新しい可能性をそこで試してみたかった。そして僕にしてみれば、関西弁を捨てることは、そのための実際的な(同時に象徴的な)手段だった。結局のところ、僕らの語る言葉が僕らという人間を形成していくのだから」と述べさせています。

まあ、どちらも言語変種の交替で人生を置換しようという、とってもベタな設定だなあ … ! しかも、NHK の朝ドラのヒロインが、自己発見ツールとしてヨソの方言を発見し、ニセ方言ヒロインとして活躍する方言コスプレドラマ『あまちゃん』(2013年度前期)放送後なだけに、そのあまりにベタな設定には驚きました。これが同作に注目した理由です。

しかも、文学作品としてはとっくの昔に、ニセ東京弁とニセ関西弁を素材とした井伏鱒二の「「槌ツァ」と「九郎治ツァン」は喧嘩して私は用語について煩悶すること」(『若草』13 (11)、1937年)がありますからね。

ベタ設定に驚く一方、1970年代に青年期を過ごした人の言語感覚アベレージに基づくファンタジー設定としては、こういう設定になるのかな … とも思いました。

目次に戻る

 「イエスタデイ」のニセ関西弁はどのように訳されたか 

金水: 「イエスタデイ」の翻訳者フィリップ・ガブリエル(Philip Gabriel)氏は、山木戸先生のかつてのご同僚なんだそうですよ。

田中: ああ、そうなんですね。では、山木戸先生は、いろいろ英訳に際しての工夫や言語感覚を直接うかがうことが可能なお立場なんですね!

山木戸先生のご発表をうかがっていれば、それで十分だったのかと思いますが、じつは、今日のために、「イエスタデイ」のニセ関西弁部分がどのように翻訳されているのかについては、再確認してきました。重なるところが多いと思いますが、一応。

結論としては、ニセ関西弁をしゃべる木樽の台詞の英訳版は、若干の若者ことば的な口語的要素を示す言語形式を除くと地域差などを示す非標準的な言語形式は反映されていませんでした。地の文に “with the breezy Kansai dialect” “Kitaru had an almost pitch-perfect Kansai accent” とか「言語変種についての説明」を入れることによってのみ、木樽が非標準的変種である関西弁――この場合ニセ関西弁なんですが――を使っていることが示されていました。

村上作品の英訳は、「イエスタデイ」に限らず、概してこの作品のように台詞部分には非標準的な言語形式は取り入れられておらず、地の文で非標準的であることを指し示す形が採られているという予想が立ちますが、実際そうなんでしょうか? 山木戸先生のご発表の結論ではどうだったんでしょうか?

目次に戻る

 英訳版『海辺のカフカ』にみる関西弁台詞 

金水: 山木戸先生のご発表によれば、村上作品の英訳では方言台詞を非標準的な言語形式を用いて翻訳することはないようですよ。それに、基本的に日本語の方言を外国語の特定の方言で翻訳することは、極めて難しいですよね。

『海辺のカフカ』に一組関西人の夫婦が出てきて、関西弁をしゃべるんですけれど、これは高松の図書館で俳人の山頭火がかつて訪ねてきた時に、その作品をいくつか置いていったんだけれども、ほとんど捨てちゃったんだって話で、どこの誰ともわからない「乞食坊主」みたいな人だったから、それは今はもう捨ててありませんっていう風に図書館の館長が言ったら、関西人の夫婦が「そら、もったいないことしましたな」「ほんまに、ほんまに」って書いてあります。それは明らかに金の話をするのは関西人っていうキャラ、ステレオタイプに乗っかっているわけですよね。山木戸先生のご発表によれば、ガブリエルさんが翻訳したところには方言は反映されてなかったそうです。で、フランス語訳見たら、それは関西アクセントでそう言ったって書いてあるんですね。

田中: じゃあ、『海辺のカフカ』の英語翻訳版では、台詞が標準的変種であるだけでなく、前後の地の文にも「関西アクセントで」とか「関西弁で」とかも書いてない?

金水: 書いてない。

田中: じゃあ、「イエスタデイ」では木樽がニセ関西弁キャラであるということが、「僕」のニセ東京弁キャラの映し鏡だから、「関西弁」であるとことが重要なので、英語翻訳版の地の文では、「関西弁であること」を説明していると解釈できるのかなあ? 結構、「イエスタデイ」英訳版には、こつこつ「関西アクセントで」とか「関西弁で」とかのそこで用いられている言語変種への説明が入ってますよね?

目次に戻る

 『海辺のカフカ』「ナカタさん」台詞のさまざまな訳し方 

田中: そういえば、たしか『海辺のカフカ』は『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス、1959年、1966年改作[早川書房、1961年/1978年])の主人公・チャーリーのようなたどたどしいしゃべり方をするキャラクターが出てくるんでしたよね? そのキャラクターの台詞は英語翻訳版では、どのような表現になっているのでしょうか?

金水: そのキャラクターは「ナカタさん」っていうんですけれど、ナカタさんは自分のことを「ナカタは、ナカタは」って言うんですよ。それはね、山木戸さんが論文に書いて出されているんですが、結局その “Nakata” を主語にして3人称にするっていう文章と、“I” を主語にして1人称で書く文章とが混ざってます。それは、翻訳者に確認したら、最初は全部3人称でやったんだけれども、それはあまりにも変すぎて、原作のナカタさんが変である以上に、変になっちゃうので、それは諦めたって言うんですよ。で、時々変さを思い出させるために “Nakata” を主語にしているけれども、全部はできなかった。全体としては、結局 “I” が多かったんですよね。

田中: 原作における「ナカタさん」の台詞のたどたどしさは、英語翻訳版ではどうなったんですか?

金水: それはあんまりないんですよ。日本語でもあんまりもともと文章自体がたどたどしくないんです。だから何が変かと言うと、いくつか要素はあるんですけれども、主語が「ナカタ」であるというのと、漢字語がカタカナになるというのと、それから「猫さん」とか「エンジンさん」とか、「さん」づけをするっていうか、無生物でも「さん」づけしたりと、まあそれぐらいなんですよ。

田中: 原作でカタカナで表記されているものとかっていうのは、例えば英語翻訳版ではイタリックにしてあるとか?

金水: それはね、諸外国に色々な翻訳があるのでイタリックにしているのもあるけど、マラプロピズム(malapropism)っていう方法を使って、綴りを変にしちゃうんですよ。例えば、“ministry” っていう単語を “minis” と “tree” って分けちゃう。

田中: ああそれでなんか、ぎくしゃくした感じを表す。

金水: あと、例えば富士川っていう地名が出てきて、「フジガワ」ってカタカナで書いているやつは “Fu-ji-ga-wa” ってハイフンで。

田中: なんか視覚的なものをベースに、ひっかかりを演出しながら翻訳している。

金水: そう。いろんなヨーロッパ系の翻訳をみると大体似たような手法を使っているんですよね。関連して言えば、方言は基本的に、翻訳不可能と言われているそうですね。

田中: 関西弁と東京弁を除くと、村上春樹作品に出てくる地域方言というのはあまりなさそうですが、どうなんでしょうか? 普通じゃないことを表象するためのぎくしゃくしたしゃべり方などを除くと、多分、地域方言キャラは出てこないですよね?

金水: 見た限りではないですね。最新刊の長編の『騎士団長殺し』(第1部・第2部、新潮社、2017年)は奥さんに離婚すると言われて主人公が家を出て、車で東北をずっと回るんですよね。で、土地の人ともしゃべってますけど、方言は一切出てこないですよね。近代小説で、あんまりあれですよね、方言は使われないですよね。いわゆる文芸作品で。使われるとしたら、やっぱりかなり狙っているわけですよね。純文学では。

目次に戻る

 村上作品以前の近代小説に現れる方言キャラ 

田中: まあ、だけど自然主義文学が出てきたら、やっぱりその特定の土地なり人物を書くって、その段階から方言は純文学でも用いられているから、それはそれほど新しい現象でもなく。

金水: もちろん伊藤左千夫の『野菊の墓』(1906年)の千葉とか、長塚節の『土』(1910年)の茨城とか。

田中: 徳富蘆花(1868-1927年、熊本県出身)なども、けっこう早い段階で熊本弁キャラを登場させてますね。「思出の記」(1900-1901年)では、熊本出身の男気キャラの新五には「好日和(いいひより)じやごわせんか」なんてね。近代文学の研究者も「ほぼ共通語で終始する「思出の記」の中で、快男児新五だけ方言を使わせる。素朴さと力強さを出すためか」(槇林滉二「近代文学に現れた全国方言 九州 附沖縄」藤原与一先生古稀御健寿祝賀論集刊行委員会編『方言学論叢II 方言研究の射程』三省堂、1981年)と。この熊本弁イメージは、その後の「ザ・男弁」化していく九州弁ステレオタイプにマッチするようなもので、キャラクター性というか言語ステレオタイプの萌芽が認められると思うんですね。

後に自然主義文学が力を持ってくると、標準語文学は成立するやいなや、あるいはするかしないかぐらいのところで、もう一つの選択肢として「方言」がせり出してきたのではないか、とわたしには思えます。各地の方言が特定のイメージと結びついた言語ステレオタイプとして機能していくにはまだ時間が必要な段階の事例だと思いますけれども。

方言とステレオタイプとの結びつきは、その変種を用いたコンテンツ総量と関わりますし、メディア横断も考えなくてはならない。できれば、それぞれの分野でこのようなことを誰かが論文化していてくれれば、うれしいのですが、そういうわけでもないようです。分野横断的研究とかいうのは一時の流行として過去のものみたいになりつつあるような気がしますが、本当の意味で分野横断的なチームで取り組みたいトピックですね。しかもけっこう大きな構えで … 。

目次に戻る

 『騎士団長殺し』に出てくる「〜 あらない」が文楽にも! 

金水: ところで、この前、文楽を見ていて、あっと思ったのは、「あらない」っていう、『騎士団長殺し』に出てくる語法が、2018年11月公演(国立文楽劇場)でもやっていた『蘆屋道満大内鑑』(あしやどうまんおおうちかがみ)という演目の中で出てくる。

田中: それはどんなキャラが「あらない」って言っているんですか。六方ことばキャラが使っているんですか?

金水: そう。奴ことばキャラともいいますね。「二人奴」っていって、主人公を助ける下級武士の奴が出てくるんですが、キツネが化けた奴も出てきて、そっくりの二人の奴が舞台の上で、荒っぽい奴ことばでやり合うっていう趣向です。

しかも、「与勘平(よかんべい)」というのが本物の人間の奴なんですけど、丹波出身だって言ってるんですよね。

田中: へ 〜 、丹波出身なのに、関東「べい」の付くキャラ。

金水: だから、そのキャラは奴ことばなんですよ。だから「だ」も使います。「じゃ」じゃなくて「だ」なんですよ。それから打ち消しは「ぬ」でなくて「ない」、命令形は「ろ」で終わります。完全に関東文脈なんですよね。奴ことばっていうのはどうもそういうものらしくて、でも奴ことばについて調査研究した論文が今のところ見つからないんですけれども、どうして奴ことばは関東風なんだろうっていうのがあって、例えば『仮名手本忠臣蔵』の七段目の寺岡平右衛門が使うのが中間(ちゅうげん)ことば、即ち奴ことばなんですけども、あの「そうだ、そうだ」って言うのを「ねい、ねい」って言ってます。「もっともだ、もっともだ」みたいな形で、やっぱり「だ」を使ってた。そういうことを考えてみると、だから、下級武士の奴とか中間っていうのはどうも関東文脈を使うっていう伝統が歌舞伎、浄瑠璃の世界ではあったらしいということで、「あらない」っていうのもそこに出てくるんです。ともかく、奴ことばっていうのはどうも特殊な位相だったようなんですね。

田中: まあ、あの『日本語大事典 上下』(朝倉書店、2014年)とか『日本語学大辞典』(東京堂出版、2018年)とかの項目を読んだレベルでしかわたしは奴ことばも六方ことばも理解してませんけれども、それらによれば、奴ことば/六方ことばは、関東方言的なものと古語的な要素を取り混ぜた人工語だと書かれてますよね。

目次に戻る

 「あらない」は関東方言にルーツあり? 

田中: ただし、「あらない」についてだけは、神奈川県厚木市生育の神奈川方言話者のわたしは語ることがあります(笑)。 「しかたがない」をわたしのところの方言(県央地域の方言)では、「ショーガンナイ」と言います。ちなみにわたしは今でも方言モードでは「ショーガンナイ」ユーザーです。かつてはわたしにとってのまったくの「気づかない方言」で、今でもちょっと油断したり高ぶったりすると普通に出ます。そう言わないと「ショーガナイ」感、もとい「ショーガンナイ」感が出ない。

卒論執筆のために行った1986年の神奈川県県央地区方言調査では、当時の若年層においても「ショーガンナイ」が1割弱出てきました。それだけでなく、「ショーガンナイ」の一世代古い形式と推定される「ショーガラナイ」[2] もわずかながら出現しました。この「ショーガラナイ」は「ショーガアラナイ」から来ているのではないか、ということです。この推定は、自分で考えたとは思えず、学生時分にどなたかからの示唆があったのではないか、と思うのですが … 。

しかも、「ショーガアラナイ」は日野資純先生のご調査でも確認されておらず、「推定語形」です。まあ、「ショーガアラナイ」があったとすると、「あらない」は古い関東方言的要素の疑いが濃いということです。「ない」をわざわざ「あらない」(「ある」+「ない」)というもったいつけた言い方が転じたのかも知れない。だとすると、このもったいつけた感は奴ことば/六方ことばにぴったりな感じがしないでもないです。

「あらない」には、なんか仰々しさとか、古っぽい感じだとかが感じられて、意図的な V 方言パーツにぴったりかな、と。完全に想像ですけど。でも、地元キャラを立ち上げるための一世代・二世代上の濃厚方言パーツをあえて用いる V 方言の一種ジモ方言(ジモティー+方言)なんかとつながる感じで … 。

金水: どうなんでしょうねえ。

目次に戻る

 「奴ことば」はヒップホップ!? 

田中: 「Web 版!読み解き方言キャラ 第8回 リアルな「ヴァーチャル方言」キャラ登場の巻:ヴァーチャル方言とラップは相性がいい?!」でも述べたように、ヒップホップの中でも、自分たちのふだん使っているものよりもより濃い方言を選択し、かつそれっぽくするために完全に作っているっていうのもあるんですね。例えば山梨県一宮町(現笛吹市)を拠点とする stillichimiya(スティルイチミヤ)の人工方言「ずんぶい」なんかが典型ですけど。そういった人工方言も、そのまま歌詞として歌い込まれちゃうとあたかもフツーにあるかのような … 。

奴ことばも、「奴性」をレペゼンするために、さまざまな言語形式をパーツとして選択、組み合わせキャラを際立たせ、さらにそれを濃くするために、そして粋がるために、自分たちでちょいちょい操作しているうちにそれがなんか芝居とかに取り入れられ、調整され、この辺かなあ … みたいなところになって、芝居の台詞とかに流し込まれていって、今度はいろんな文芸作品とか話芸とかにまた展開していったという、まさになんかこう V 日本語的な感じの、わたしたちが今享受しているものの元祖的なものなのかなあ、と。だって、歌舞伎者の服装とかもそうですよね。それこそコスプレですよね。いろんなところやものの要素を取り入れながら、目立つ。でも目立つっていっても、古っぽいような斬新なような。

金水さんの『役割語研究の地平』(くろしお出版、2007年)に論文のあるトーマス・ガウバッツさんがこの夏に講演に来て、[3] そこで近世期には「通」「粋」な人がどのように表象されていたのか、という話をしたんですが、要するに近世期の「通」とか「粋」な人は、英語でいうところの「ヒップスター」だという発言をしました。うまい言い方だなあ、と思いました。レトロかつ斬新でパンキッシュ。ぴったりだなあと。

金水: 確かにそう言われたら、パンクですね。

『蘆屋道満大内鑑』のそのシーンっていうのは、奴が2人出てきて、奴ことばでやり合うわけだけども、その言葉の面白さを見せるシーンですよね。それはまさしくほんとにヒップホップであったり、掛け合いであったりみたいな。

田中: リョウマが土佐弁キャラになるには NHK 大河ドラマ『竜馬がゆく』が必要だったように、決定的な六方ことばとか奴ことばを確立させる元祖的なコンテンツがあるのかも知れませんね。エポックメイキングなコンテンツや、それを導いた先行コンテンツはありそうなんですけどねぇ … 。

金水: まあ多分そうなんだと思う。だから多分先行するような作品がね。あるはずなんですが。

田中: それは残っているか、伝承されているか、わかんないけど。

金水: まあ、「あらない」については、ちょっと調べてみようと思います。「ショーガネエ」の形は「ショーガンネエ」という形で固定し、「ン」が挿入されるのはもともと「ショーガラネエ」から変化したからであると。

田中: ぜひ国語史の方面からの解明をお願いします。リアル方言から「あらない」を再構築するのは、少なくとも神奈川方言からはもうできそうもありません。

金水: しかし、奴文化はあまりにも文献がないんじゃないですかね。遊郭文化は江戸文化の中心だから文献等もありますけどね。それから、あとやっぱりその近世文学の研究者は方言にはあんまり明るくないというのはもともとあるから、なかなか方言との関連で奴ことばを捉えるのは、難しいかも知れませんね。例えば浄瑠璃『博多小女郎波枕』(はかたこじょろうなみまくら)は博多方言が出てきますけど、あんまり注目されないし。

田中: なんか田舎表象が描かれているっていう程度で?

金水: 多分そういうことかなとは思いますけど。

目次に戻る

 時代劇と関西弁キャラ 

田中: そろそろ締めくくらなければいけないですね。締めくくりにふさわしい話題としては何があるでしょう?

金水: V 時代語関連で締めましょうか? 時代劇では方言がせり出しにくいが、徐々に関西弁キャラが登場してきています。ということは、時代劇においても、現代劇のあとを追うように、方言属性が進出してきつつあるのかなという感じがしますけど、どうですか?

田中: 時代劇にも方言属性が進出しつつある、というのは大河ドラマにおける方言指導のあり方や方言台詞の与えられ方からも、年忘れ対談の冒頭で示した「時代劇・歴史ドラマは台詞で決まる!―世界観を形づくる「ヴァーチャル時代語」―」のシンポジウムとその記録としてのブックレット(田中ゆかり・金水敏・児玉竜一編、笠間書院、2018年12月)において、確認されたと思います。

NHK の大河ドラマは、インパクトが大きいコンテンツなので、今後も調査を継続すべきコンテンツだと思います。しかし、できれば民放の水準を知るための適切な調査をしたいですね。

先ほど、関西弁キャラが方言属性の先陣を切って時代劇に進出してきている、というお話がありました。

そういえば、年忘れ対談でもちらっと話の出た『水戸黄門』[4] の第1部第13話「追いつめられて」(1969年10月27日放送)という回があり、そこに関西弁キャラが早くも登場します。内紛を抑えるために讃岐藩へ向かおうとするご老公主従を堺港から出させないよう、暗躍する忍者等にはばまれ … という内容なんですが、堺の商人たちが関西弁キャラとして造形されています。堺という土地属性と商人属性との結びつきかも知れないんですが … 。

しかし、土地属性とその商人属性とが重なると関西弁が出てくるんだなあと思って。といっても2004年ぐらいに見た DVD 記憶でお話ししているので、再見の必要が大いにあるのですが … 。でも、やっぱり時代劇にも土地と結びついた V 方言として関西弁が最初に張り出してくるというのは、間違いのないところなんじゃないかと。

目次に戻る

 水戸黄門検討委員会を立ち上げましょう! 

田中: 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)を出されたのは、2003年でしたね。それとの結びつきは当時明確に意識できていなかったのですが、コンテンツに再提示される方言について、とくに人工的な田舎弁を中心にいくつか確かめたいことがあって、個人的に水戸黄門検討委員会を立ち上げようと思いつき、『水戸黄門』の DVD を2004年に大人買いしたのですが、DVD は新品のまま月日は流れ … 。

しかし、V 時代語の流れで改めて、水戸黄門検討委員会は設置すべきということがわかりました。やっぱり水戸黄門研究会をやらなきゃダメですね。テレビシリーズは長大ですけれど、やりましょう。

金水: 脚本がひょっとしたら、京都の東映太秦映画村とかに保管されている可能性がありますよね。

田中: なるほど。水戸黄門って、映画でもいっぱいあるし、講談もあるし。

金水: 映画めちゃくちゃたくさんありますよね。

田中: トリッキーなやつもすごくいっぱいあって、「水戸黄門」コンテンツは、たぶん一生かかっても見切れないくらいあるんじゃないのかなあ。しかし、あれですかね。新年の目標の一つとしては、水戸黄門研究会を立ち上げ、役割語研究会で発表するんですかね?

金水: じゃあ、やりましょうという感じで、締めの言葉。

田中: 締めの言葉ですか。テレビ時代劇は映画業界の人がまったく関係していないことはありえないですよね。でも、水戸黄門について書かれた研究書っていうのはやっぱりなんか作品があまりにもポピュラーすぎて、なかなかあれなのかな。

金水: 水戸黄門の研究書ってみたことないですよね。

田中: ないですね。やっぱり、コンテンツがありすぎるからなのか … 。

( … 検索中 … )

『これが水戸黄門だ!――テレビ放送34年の人気長寿番組を解き明かす』(日之出出版)っていうのがあるようです。2003年に出ていますね。

金水: じゃあそれは買います。

田中: そうですね。まず読みましょう。

金水: ぼくはあれですよ。あの、『水戸黄門』はね、公家ことばの由来を調べようと思って、悪役の公家・一条三位に注目しました。これはインターネット動画に入っているので、それで確認しました。じゃあ、やっぱり締めの言葉は、「水戸黄門をやらないといけませんね」。

田中: はい。では、V 日本語的新年の抱負は、「水戸黄門検討委員会を立ち上げ、わたしは V 方言方面から、金水さんは V 時代語方面から、山を登る」ことにしましょう!

 

水戸黄門ご一行が博多駅で「お練り」(朝日新聞)

 

金水 田中: 「金水×田中の V 時代語@時代ならびに翻訳・新春特別対談編」、最後までお読み下さり、ありがとうございました。本年が平安な一年であることを願いつつ、V 日本語研究にも新しい展開がありますように。なお、本対談余滴「Web 版!読み解き方言キャラ 番外編 歌界の V 日本語 方言ラップやら何やら」も、どうぞ、ご覧下さい。

改めて本年もどうぞ、よろしくお願い致します。

 

目次に戻る

 


〈注〉

[1] 単行本では、「イエスタデイ」の歌詞が初出の冒頭3フレーズまでに短くされているのを始めとした改変がなされている。単行本「まえがき」によれば、「歌詞の改作に関して著作権代理人から「示唆的要望」を受けた。僕の方ももちろんそれなりの言い分はあるけれど(歌詞は訳詞ではなく、まったく無関係な僕の創作だから)、ビートルズ・サイドとトラブルを起こすのはこちらの本意ではないので、思い切って歌詞を大幅に削り、問題が起きないようにできるだけ工夫した」ということである。

[2] 日野資純「10 神奈川県の方言」『講座方言学5 関東地方の方言』国書刊行会、1984年/日野資純・斎藤義七郎編『神奈川県方言辞典』神奈川県教育委員会、1965年。

[3] 開催報告「――幻想としての通―洒落本にみえるメディアと身分――」トーマス・ガウバッツ助教(ノースウェスタン大学)。

[4] TBS、月曜午後8時スタートの長期テレビ時代劇シリーズ。主人公・権中納言水戸光圀公とそのご一行による全国漫遊もの。1969年に第1部がスタート、2011年放送の第43部まで制作された(2015年には単発のスペシャル番組が放送される)。各部の放送期間は概ね半年。

 

「 Web版! 読み解き方言キャラ 第 9 回 V 方言キャラ・年忘れ特別対談編」

 

 

金水 敏(きんすい さとし)

 1956年生まれ。博士(文学)。大阪大学大学院文学研究科教授。大阪女子大学文芸学部講師、神戸大学文学部助教授等を経て、2001年より現職。主な専門は日本語文法の歴史および役割語(言語のステレオタイプ)の研究。主な編著書として、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店、2003)、『日本語存在表現の歴史』(ひつじ書房、2006)、『役割語研究の地平』(くろしお出版、2007)、『役割語研究の展開』(くろしお出版、2011)、『ドラマ方言の新しい関係―『カーネーション』から『八重の桜』、そして『あまちゃん』へ―』(田中ゆかり・岡室美奈子と共編、笠間書院、2014)、『コレモ日本語アルカ?―異人のことばが生まれるとき―』(岩波書店、2014)、『〈役割語〉小辞典』(研究社、2014)などがある。


田中 ゆかり(たなか ゆかり)

 1964年生まれ。神奈川県生育。日本大学文理学部教授。博士(文学)。専門は日本語学(方言・社会言語学)。著書に、『首都圏における言語動態の研究』(笠間書院、2010)、『「方言コスプレ」の時代――ニセ関西弁から龍馬語まで』(岩波書店、2011)、『方言学入門』(共著、三省堂、2013)、『ドラマと方言の新しい関係――『カーネーション』から『八重の桜』、そして『あまちゃん』へ』(共著、笠間書院、2014)、『日本のことばシリーズ14 神奈川県のことば』(編著、明治書院、2015)、『方言萌え!?――ヴァーチャル方言を読み解く』(岩波ジュニア新書、2016)など。

 

 

 

 

 


 

 

関連書籍

〈役割語〉小辞典

▲ページトップに戻る

複写について プライバシーポリシー お問い合わせ

Copyright(C)Kenkyusha Co., Ltd. All Rights Reserved.