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研究社 WEB マガジン Lingua リンガ


名句の源泉を訪ねて(ラテン語さん)


第1回
Quis custodiet ipsos custodes?
クィス クストーディエト イプソース クストーデース
誰が見張り番を見張るのか?
 

 みなさまこんにちは。ラテン語さんと申します。普段は Twitter にてラテン語の魅力や面白さを日々発信しています。このたび、研究社の Web マガジン Lingua におきまして連載を担当することになりました。定期的に更新していきますので、続けて読んでいただければ幸いです。

文脈を知ってこそ

 私の連載のテーマは、ラテン語の引用句とその背景となる文脈の解説です。文学作品に出てくるフレーズを引用するときには、ただそのフレーズだけに注目するのではなく引用元での文脈にも気を配らなければいけないと私は考えます。仮に元の文学作品の文脈とかなり違う話題において文学作品からとあるフレーズを引用してしまうと、書いている文章全体が不格好になってしまう危険があります(ウィットに富んだ文を書こうとしているのにもかかわらず、ラテン文学に通じた人には『これを書いた人はラテン文学を知らない』という印象を与えてしまう)。また、世の中で書かれる文章においてラテン文学からの引用を見ることは稀ではないのですが、その中で時々「これは引用元の文脈を理解した上でこのフレーズを引用したのか?」と疑問が湧いてしまうことがあります。そんな引用でも、ほめる人は存在するのです。というのはラテン語という言語は、一部の方には「教養ある人が使い、理解する言語」と思われており、なかにはラテン語の引用句があれば「これを書く人は教養のある人だ」と感じる方も存在します。しかしながら、引用元の文脈を知ってこその引用ではないでしょうか。

 この連載では、ある程度知られている引用句とその文法と文脈を解説し、みなさまがそのフレーズを引用しても差し支えない場面を考える際にお役に立てたらと考えています。

誰が見張り番を見張るのか

 今回取り上げる引用句は、「誰が見張り番を見張るのか?」です。原文のラテン語では Quis custodiet ipsos custodes? で、個々の語の解説は以下になります(かっこの中は辞書の見出しで載っている語形)。


quis疑問代名詞「誰が」男性単数主格
custodiet (custodio)動詞「見張る」直説法能動態
未来三人称単数
ipsos (ipse)指示代名詞「自身」男性複数対格
custodes (custos)名詞「見張り番」男性複数対格

この文の ipsos は、custodes を修飾しています(ipsos と custodes は同じ性、数、格になっています)。つまり、ipsos custodes で「見張り番たち自身を」という、一つのまとまりになります。したがって Quis custodiet ipsos custodes? を文字通りに訳せば、「誰が見張り番たち自身を見張るのだろうか」となります。

 このフレーズは、現代では政治的な文脈においてたびたび引用されるものです。たとえばアメリカ合衆国において、白人警察官の暴力行為による黒人男性の死亡事件を受けての抗議活動の際に、建物の外壁にこのフレーズが落書きされたことがありました。つまり「警察の暴走を誰が監視するのか?」という意味合いで書かれたのです。また、時代は古くなりますがアメリカ合衆国のイラン・コントラ事件を調査したタワー委員会による報告書の補遺B では、この文が一番初めに引用されています(どちらの例でも英訳は書かれていません)。今回の記事では、このように様々なところで引用されている Quis custodiet ipsos custodes? は元々どんな場面で書かれた文であるのか解説します。

鍵をかけて妻を閉じ込めよ

この文が出てくる文学作品は、ユウェナーリスという詩人の『風刺詩集』第6巻です。ラテン語の題名は Saturae、英語だと The Satires になります(英語で satire は「風刺」という意味です)。Quis custodiet ipsos custodes? は347~8行目にあります。

 まず、この詩の全体から見ていきましょう。

 『風刺詩集』第6巻のテーマは、女性のモラルの劣化です。大昔と比べての、現代(ユウェナーリスが生きている当時)の女性の堕落を書いています(一部、男性への批判もあります)。つまり政治の話ではないのです。

 また、この巻全体を読みたいと思われる方に言いたいのですが、正直なところ、この詩を現代の人が読んでもなかなか楽しむことは難しいと思われます。というのも全体的に女性蔑視の雰囲気があるからです。もちろん、古代ローマの人と現代の感覚は違っていて当然であることはそうなのですが、読む際はその点を注意していただければと思います(比較的簡単に手に入る和訳本は、岩波文庫の『ローマ諷刺詩集』です)。

 先ほど Quis custodiet ipsos custodes? は347~8行目にあると書きましたが、それを含む346~8行目はユウェナーリスが書いたわけではないという説もあり、そこは注意が必要です。

 この3行(346~8行目)の全体は、このようになっています。

「古い友人であるあなた方が以前からどんな忠告をしているのか、私は知っている。『鍵をかけて、(妻を)閉じ込めよ』とあなた方は言う。しかしながら、見張り番たち自身を誰が見張るのだろうか? 妻は用心深い人である。そして、妻は見張り番たちから誘惑しはじめるものだ」

(audio quid veteres olim moneatis amici, “pone seram, cohibe.” sed quis custodiet ipsos custodes? cauta est et ab illis incipit uxor)

 実はこの部分が第6巻全体においてどこにあるべきかさえも研究者の中で論が分かれているのですが、第6巻全体を通じて女性のモラルの低下、また浮気がテーマになっていることを考えれば、これは妻に浮気をさせたくない夫へのとあるアドバイスと、その実用性についての文章だと推測されます。

別バージョンでは…

 この文章には別のバージョンもあり、こちらの方がユウェナーリスによって書かれたものであると論ずる説もあります。このバージョンでは、以下のようになっています。

「古い友人であるあなた方が忠告することは何でも知っている。『鍵をかけて、(妻を)閉じ込めよ』とあなた方は言う。しかし、見張り番たち自身を誰が見張るのだろうか? 見張り番たちは今や放蕩な女の密通を黙って、その見返りとしてご褒美のサービスを受けている人たちだというのに。妻と見張り番が共有する罪は、語られることは無い。賢明なる妻はこれを予見し、そして見張り番たちから誘惑を始める」

(novi consilia et veteres quaecumque monetis amici,‘pone seram, cohibe.’ sed quis custodiet ipsos custodes, qui nunc lascivae furta puellae hac mercede silent?” crimen commune tacetur. prospicit hoc prudens et ab illis incipit uxor)

 少々長くなっていますが、結論は346~8行目のバージョンと大差はありません。ただ、前に挙げたバージョンよりも妻の思惑について具体的に描かれています。

 どうでしょうか? 現在、政治的な、割と高尚な文脈で引用される Quis custodiet ipsos custodes? のイメージがかなり変わったのではないでしょうか。

 もし、ユウェナーリスが書く詩に興味がありましたら、ここで共有しました和訳本を読んでみてください。ここまでこの記事を読んでいただき、ありがとうございました。

 

〈参照文献〉

ペルシウス、ユウェナーリス『ローマ諷刺詩集』国原吉之助訳(岩波文庫、2012)。
Braund, S. M. (2004). Juvenal and Persius. Harvard University Press.
Watson, L., & P. Watson (2014). Juvenal: Satire 6. Cambridge University Press.

 

ラテン語さん

東京古典学舎研究員。高校2年生からラテン語の学習を始め、2016年から Twitter でラテン語の魅力を日々発信している(Twitter アカウント名: @latina_sama)。企業等からのラテン語翻訳の依頼も多数。2022年にはアニメ『テルマエ・ロマエ ノヴァエ』とノートパソコン Chromebook のコラボ CM で使われるラテン語を監修した。

 

 


 

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