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ルーン文字の遍歴

第9回 中世のルーン(2): 北大西洋島嶼のルーン

 2023年1月、ロバート・エガース監督、アレクサンダー・スカルスガルド主演の『ノースマン――導かれし復讐者』が日本でも上映されました。本映画の特徴は、シェイクスピア『ハムレット』の原型ともなるべき復讐譚にヒントを得ながら、ヴァイキングの世界を再現しているところにあります。9世紀の北欧、主人公アムレートが父を殺した叔父を追ってたどり着いた先はアイスランド。そのアイスランドで生きるヴァイキングの心象風景やメンタリティを再現するために、エガース監督は3人の専門家に考証を依頼しました。一人は文献研究が専門のヨーハン・カトリーン・フリズリクスドッティル、一人は民俗学が専門のアイスランド大学のテリー・ガネル、そして全体を統括しているのがウプサラ大学で考古学を教えるニール・プライスです。

 プライスは2020年に『アスクとエムブラの子たち』を刊行した研究者です。

図版1 Neil Price, Children of Ash and Elm: A History of the Vikings (Basic Books, 2020)

本書は、世界十数カ国で翻訳されている、今、最も売れているヴァイキングの概説書です。その特徴は、キリスト教導入以前の宗教心性を議論に取り込み、ヴァイキングが彼らの生きた世界をどのように認識し感じていたのかを私たちに示しました。つまり、オージン、ソール、フレイという3神が統治し、ユグドラシルという世界樹、ヴァルハラという死後の神殿、ラグナロクという世界の終末を世界観として持つ人々がどのように世界を捉え行動するのかに重点が置かれています。

 ヴァイキングが認識する世界において、人々はルーン文字を神々の言葉と認識していました。『韻文エッダ』に収められた「オージンの箴言しんげん」(Hávamál)によれば、北欧神話の主神オージンがユグドラシルの樹に逆さ吊りになりながら得た「秘密」がルーンです。本連載ではルーン文字を、ラテン語やギリシア語と同じく、情報伝達のためのコミュニケーションの道具として捉えてきました。しかしプライスの見方に従うならば、ヴァイキングは、ルーン文字をコミュニケーションの道具として用いる一方で、神々の世界と繋がりうる媒介とも認識していました。

 以上を前置きとしながら、今回は、北欧本土から遠く離れた、北大西洋世界でのルーン文字のあり方を確認しましょう。

1北大西洋世界の成立

 ヴァイキングのブリテン諸島への襲来を告げる出来事として、『アングロサクソン年代記』の793年の項目は著名です。

 この年、ノーサンブリアの上空に不吉な前兆が現れ、住民を不安のどん底に落とした。それはつんざくような稲妻の閃光であった。また、火を吹くドラゴンが空中に飛ぶのも見えた。これらの前兆に続き、大飢饉も起こった。その同じ年の1月8日に異教徒が襲来し、リンディスファーンの神の館を略奪し、人々を殺害した。

 異常な前兆の後に、「異教徒」つまりヴァイキングが、エディンバラ東南部のリンディスファーン島に建つ修道院を襲撃する場面です。

図版2 9世紀のリンディスファーン修道院の碑石に描かれたヴァイキングの襲撃

列挙される異常な出来事に当時の人々の不安な心理が現れています。これはヴァイキングの襲来を証言する最も著名な事件の一つですが、8世紀後半以降、ノルウェー・ヴァイキングは、北海をわたり、北大西洋へと進出しました。故郷ノルウェーと同様に多数の入江を持ち、小権力者が群雄割拠するスコットランドは、ヴァイキングにとってもう一つの故郷のように感じられたかもしれません。

 いったん、イングランド北部への襲撃と定住で味を占めたヴァイキングは、ブリテン諸島北部から北大西洋の島嶼に、次々に移住を始めました。とりわけ9世紀の半ば以降、オークニー諸島やシェトランド諸島よりさらに北の世界に進出しました。フェロー諸島を経て、彼らがまず新天地としたのはアイスランドです。アイスランドへの移住を記録する『植民の書』によれば、860年にヴァイキングの第一波が押し寄せました。その後、次々にノルウェーからの移住者がこの火山と氷河の島に移住しました。

図版3 アイスランド南西部のヴァイキング集会地シングヴェトリル(小澤撮影)

アイスランドには新しいヴァイキングの社会が成立しました。

 『赤毛のエイリークのサガ』によれば、930年頃、赤毛のエイリークというヴァイキングが、アイスランドからさらに西へ渡航した結果、グリーンランドを発見しました。エイリークとその仲間は、移住を重ね、東居住地と西居住地という二つの大きな農場集住地をグリーンランドに設けました。そして、さらに西に向かった集団もいました。その結果、彼らはヴィンランドと名付けた土地を見出しました。長年、サガに描かれるヴィンランドが新大陸であるという確実な証拠は得られませんでしたが、1960年には、ノルウェーの考古学者イングスタ夫妻が、カナダのニューファンドランド島北部にランス・オ・メドウズと呼ばれるヴァイキングの定住地を発見しました。

図版4 ランス・オ・メドウズにおけるヴァイキング居住地の復元

近年の考古学調査によれば、1023年頃に移動してきたことがわかっています。

 こうして、ノルウェー・ヴァイキングは、ブリテン諸島北部からアメリカ大陸にかけて連なる北大西洋島嶼に、ノルド語と北欧文化を共有する新世界を築き上げました。中世キリスト教社会の辺縁に位置するこの社会は、アクセスも困難で気候も厳しく、一見すると誰も寄りつかない辺境のように思われるかもしれません。しかし、この辺境は、エッダやサガといった独自の文芸作品そしてセイウチの牙やイッカクの角といった独自の産品を生み出す空間でもありました。13世紀半ば以降、この島嶼部全体をノルウェー王権が自らの支配下に収めますが、それはこの辺境の持つ独自の価値を王権側が認識していたからでしょう。

2中世アイスランドのルーン文字

 上述したように、9世紀から移住が始まったアイスランドには、新しいヴァイキングの社会が成立しました。しかし移住当初つまりヴァイキング時代のルーン碑文は伝来していません。同時代のノルウェーではルーン碑文が用いられていたので、アイスランド人が知らなかったはずはありません。これまでに刊行された碑文カタログによれば、アイスランドでは96のルーン碑文(墓石や洞窟に55、さまざまな物品に41)が登録されていることがわかっています。11世紀にさかのぼる杖を唯一の例外として、それ以外の碑文は13世紀以降のものです。アイスランドで見つかっているルーン碑文が少ないのは、火山岩が大地を覆っており、北欧本土のような石や木が簡単には入手できないという理由もあるでしょう。ここでは、魔術と信仰という観点から、アイスランドのルーン文字を考えてみましょう。

 プライスが『ノースマン』の世界観を再現するにあたって依拠した史料の一つは北欧神話を伝える『エッダ』です。いくつかあるエッダのうち、1270年頃に編纂された古北欧の神話文書集成である『韻文エッダ』の中の「オージンの箴言」には、「ルーンの話」(139-146行)というルーン文字について書かれた箇所があります。ここで北欧神話の主神オージンが、ユグドラシルの樹に逆さ吊りになっている時に、ルーン文字を読み取る描写があります。

 わしは、風の吹きさらす樹に、九夜の間、槍に傷つき、オージン、つまり、わし自身に我が身を犠牲に捧げて、誰もどんな根から生えているか知らぬ樹に吊り下がったことを覚えている。(139)

 わしはパンも角杯も恵んでもらえず、下を窺った。わしはルーン文字を読みとり、呻きながら読みとり、それから下へ落ちた。(140)
(谷口幸男訳)

そしてオージンは、自分自身がルーン文字を刻みながら、次のように問いかけます。

どう彫るか、知っているか。
どう解くか、知っているか。
どう描くか、知っているか。
どう試すか、知っているか。
どう祈るか、知っているか。
どう殺すか、知っているか。
どう供えるか、知っているか。
どう生贄を捧げるか、知っているか。(146)
(谷口幸男訳)

 いうまでもなく、『エッダ』に描かれる神話は歴史的事実ではありません。しかし、プライスの議論に従えば、「オージンの箴言」が10世紀に成立した韻文だとすると、『ノースマン』の時代のヴァイキングは、そこに描かれた世界観の中で生きていた、ということになります。プライスの議論はまだ検討すべき余地が多々残されていますが、少なくとも、ルーン文字が単なるコミュニケーションの道具ではなく、文字それ自体に神々と関わるマジカルな要素が込められているという考えは、ヴァイキングの共通認識であったと理解して良いかもしれません。

 こうしたマジカルな思考はいつまで続いたのでしょうか。10世紀の半ば以降、キリスト教の浸透に従って、キリスト教の教義に反する考えもルーン文字もどんどん隅に追いやられるようになりました。しかし辺境のアイスランドにおいては、本土とは異なる時間が流れていたかのようです。10世紀のヴァイキングの世界を舞台とした『グレティルのサガ』79節に以下のような場面があります。

 さて老婆の望み通りになった。海外にやってくると、何かきちっと決められた通りといったように岸に沿ってびっこをひいた。そこには肩にかついで行けそうな多くの木の根が老婆の前にころがっていた。老婆はその木をじっと見つめてから、同行者にそれを自分の前でまわして欲しいと頼んだ。それは火で焦げたようになっていて、片側がこすられていた。老婆はそのこすられている平らな部分を削らせた。それからナイフを手にとると根にルーン文字を彫り、自分の血で赤く染め、それに向かって魔法の呪文を唱えた。それから太陽の進行方向とは逆に後ずさりして木のまわりをまわり、そこで多くの悪い呪文を唱えた。それから木を海の中に投げ込ませ、それがドラング島に漂着してグレティルの大きな災いになれ、と言った。
(谷口幸男訳)

ここでは老婆が、ルーン文字を、単なる情報伝達手段としてではなく、グレティルに災いをもたらすような呪術目的で用いていることを読み取ることができます。もちろん従来の研究が明らかにするように、アイスランドのサガは現実と虚構の入り混じった物語であり、『グレティルのサガ』の内容を必ずしも事実と受け取ることはできません。しかし、物語が成立した13世紀のアイスランド人は、『グレティルのサガ』に出てくる諸場面を、一種のリアリティを持って楽しんでいました。そうであるとするなら、13世紀においてもなお、マジカルな思考とルーン文字との関係は、(少なくともある程度は)アイスランド人の間で共有されていたと考えても良いかもしれません。

 アイスランドにおいて、ルーンや魔術のようなゲルマン時代の遺物はキリスト教によって駆逐されたのでしょうか。ここでは中世アイスランドのルーン碑文が書かれたもので、最も人々の注目を集めるヴァルショウヴズスタジル教会の扉を確認しましょう。

図版5 ヴァルショウヴズスタジルの教会扉(アイスランド国立博物館)

1200年頃の作とされるが、すでに教会の遺構はなく、現在はレイキャヴィークにある国立博物館に収められています。この扉の絵は、クレティアン・ド・トロワの『イヴェン、または獅子の騎士』という12世紀の騎士道物語に着想を得た作品であると考えられます。扉には二つの円形の図像が彫刻されており、上の図像には物語の一場面が、下の図像には絡まり合う4匹のドラゴンが彫られています。上の円形は、さらに獅子を付き従えた騎士が描出される上半円とその騎士がドラゴンと戦う場面を描く下半円に分かれています。

図版6 ヴァルショウヴズスタジルの教会扉の図版

ルーンが刻まれているのは、上半円の右下にある騎士の墓である。墓の上に横たわっているのは付き従った獅子でしょう。碑文は以下のように読めます。

[...] rikiakonong : hergrapin eruadrekapæna

訳:このドラゴンを殺した力ある王がここに葬られた。

この扉の絵は、教会というキリスト教信仰の中心地において、ゲルマン文化の一つであるルーン文字が生き延びていた証拠を私たちに示します。この連載において、ルーン文字は基本的に意思伝達手段であることを述べてきましたが、実のところ、旧フサルク以来、ルーン文字それ自体には意味が与えられており、それに基づいて、呪術や祈願行為を行っていたことも事実です。神話集成であるエッダのルーン文字に関する記述は、そうしたルーン文字に対するマジカルな思考を、より一層高める役割を果たしたと考えられます。本節の冒頭に、アイスランドで発見されたルーン碑文は必ずしも多くないことを述べましたが、サガにも記録され教会にも現物が残っている状況を考えるに、中世アイスランドにおいてもルーン文字は利用され、そしてスカンディナヴィア本土よりも、マジカルな意味合いを付与されていた可能性が高いことを指摘しておきましょう。

3グリーンランドのルーン碑文

 アイスランドからさらに西方に船を進めると、グリーンランドに到達します。現在までにグリーンランドでは170ほどのルーン碑文が発見されています。全ての碑文を検討したデンマーク国立博物館のリスベス・イメールによれば、グリーンランドの北欧人集落ではかなり高い確率でルーン文字の刻まれた産品が出土しており、それはグリーンランド社会でのルーン文字利用頻度が高かったことを意味します。ここではそうした出土物のうち、グリーンランド社会の特徴を示す二つのルーン碑文を紹介しましょう。

 一つ目は、グリーンランドの南端ファーベル岬から北西に50キロメートルほど離れたヘリョルフスネス(Herjolfsnes)の教会墓地から発見されたルーン棒です。この棒は木製の棺桶の中に収められており、そこに刻まれたルーン文字は次のように記録されています。

図版7 ヘリョルフスネスで発見されたルーン棒

 + þæsi : kona : uar : lagþ ÷ firi : borþ : i : grøna¶laz : haf(e) : ær : guþu(e)h : het

訳:グズヴェイグと呼ばれたこの女はグリーンランドの海に横たえられた。

調査をしたところ、この棺に遺体が安置された痕跡はなく、ただこの棒だけが収められていたことがわかっています。そのため、「グリーンランドの海」で亡くなったグズヴェイグ自身の遺体の代わりに、この棒を棺桶に収めたと推測されます。これにより、中世グリーンランドにおいては、本人の遺体が見つからない時には、こうしたルーン棒のような代替物で慰霊するという習慣のあったことがわかります。このような習慣は、寒冷な気候の中で漁業やセイウチ漁に従事しなければならないグリーンランドの北欧人が、常に海難の死と隣合わせであり、しかしそれでも危険をおして生業を進めなければならなかった状況を証言しています。

 もう一つはグリーンランド中部にあるキンギットルスアク(Kingittorsuaq)島で1824年に発見された、ルーン文字が刻まれた石片です。

図版8 キンギットルスアクのルーン碑文

÷ el=likr * sikuaþs : so=n:r * ok * baan=ne : torta=r son : ¶ ÷ ok enriþi * os son : laukardak*in : fyrir * gakndag ¶ hloþu * ua=rda te * ok rydu : ??????

訳:エアリング・シグヴァトソンとビャルニ・ソルザルソン、そしてエインドリジ・オッドソンは、祈願節前の土曜日に、この塚を建てた 。

この碑文は1300年頃に作成され、「塚」と表現されるモニュメントのそばに添えられたと考えられます。この時代にはグリーンランドもすでにキリスト教社会となっており、キリスト教の慣習として遺体があれば墓地に埋葬するでしょうし、もし遺体がない場合でも前述したように棺の中に代替物を入れて埋葬する可能性もあります。そうだとすればこの「塚」は、エアリング、ビャルニ、エインドリジの三者に関連する人物や事績を記念するための社会的装置である可能性もあります。ヴァイキング時代の北欧には、死者を記念するルーン石碑があちこちに建立されましたが、キンギットルスアク碑文もそうした社会慣習を引き継いだ、死者の所属共同体による記念作業であったのかもしれません。本土では、1300年という年代において、死者を記念する石碑を建立するという習慣はすでに廃れていました。しかしこのキンギットルスアクの碑文は、グリーンランドでは、本土ではすでに失われた習慣をなおも保存する「古い社会」を維持していたことを証言しています。

4島嶼とルーン碑文

 以上、アイスランドとグリーンランドの中世のルーン碑文に関する証拠からいくつかを選んで紹介しました。

 アイスランドとグリーンランドは、いずれも、ノルウェー・ヴァイキングが移住した北大西洋の島嶼であるという点では同じです。しかし、そこで確認されるルーン碑文は、ノルウェー本土のものとも異なるし、また、アイスランドとグリーンランドでも異なります。さらに言えば、この2島以外にも、ルーン碑文が一定数残っている島があります。同じ北大西洋島嶼のオークニー諸島のメインランド島、アイリッシュ海のマン島、そしてバルト海のゴットランド島です。オークニー島ではメーズハウ遺跡の石室通路にルーン文字による中世の落書きが、マン島にはルーン文字の彫られたマン島十字架があり、ゴットランド島には絵画石碑が集中して建立されています。

図版9 ゴットランドのストーラ・ハンマルシュ石碑

 それぞれの島に残るルーン碑文が異なる特徴を持つ理由を探るためには、それぞれの島の持つ独自の条件と歴史を解明する必要があるでしょう。

 従来、こうした島嶼ごとのルーン文字に関する研究は膨大にありますが、それぞれに特徴的なルーン碑文の理由を論じた研究も島嶼間の比較を試みた研究も見出すことはできません。しかしながら、アイスランドとグリーンランドで論じたように、おおよそ同じ言語と文化を共有するヴァイキングがもたらしたルーン文字でありながら、個別の島嶼において展開したルーン文字文化は大きく異なっています。それぞれの島では、北欧本土とは異なる独自の権力構造が生成したことを考えれば、使われる言語や文字はさほど変わらなかったとしても、その社会的な役割は、ルーン文字がもたらされたヴァイキング時代以降に分化したと言わざるを得ません。

 周囲を海で囲まれる島は、仮に絶海の孤島と形容されるアイスランドであっても、それは必ずしも孤立した空間ではなく、ノルウェー本土のみならずブリテンなどとも常に接続していたことは間違いありません。そうであったとしても、それぞれの島の持つ独自の構造がルーン碑文のあり方に多様性を持たせたこと、逆に言えばルーン碑文を見ることで、それぞれの島の持つ多様性を知ることができるという意味では、ルーン文字は北欧社会や中世社会を理解するための一つのリトマス紙の役割を果たしています。島嶼のルーン碑文の研究はこれからです。

 

〈参照文献〉

史料翻訳
清水育男訳「〈赤毛〉のエイリークルのサガ」菅原邦城・早野勝巳・清水育男訳『アイスランドのサガ 中篇集』(東海大学出版会、2001)、165-198頁。
谷口幸男訳「グリーンランド人のサガ」日本アイスランド学会編訳『サガ選集』(東海大学出版会、1991)、109-135頁。
谷口幸男訳『エッダ――古代北欧歌謡集』(新潮社、1973)。
谷口幸男訳『アイスランド サガ』(新潮社、1979)。
 
研究文献
小澤実「異文化の交差点としての北欧」『岩波講座世界歴史9:ヨーロッパと西アジアの変容11~15世紀』(岩波書店、2022)、163-182頁。
小澤実「イヌイット×ノース人:中世グリーンランドの異文化接触とレジリエンス」高橋美野梨編『グリーンランド(仮)』(藤原書店、2023)。
谷口幸男「ヴァイキングのアメリカ大陸発見――アイスランドサガの記述から」谷口幸男『ゲルマンの民俗』(溪水社、1987)、3-30頁。
谷口幸男「グリーンランドのヴァイキング」『大阪学院大学通信』27.9(1996)、55-68頁。
谷口幸男『ルーン文字研究序説』(小澤実編、八坂書房、2022)。
松本涼「アイスランドの歴史①農民たちの共和国?――植民から13世紀半ばまで」小澤実・中丸禎子・高橋美野梨編『アイスランド・グリーンランド・北極を知るための65章』(明石書店、2016)、77-82頁。
Arneborg, Jette. “The Norse settlements in Greenland”, The Viking World, Brink and Price, London: Routledge, 2008, pp. 588-597.
Gulløv, Hans-Christian. “Inuit-European interactions in Greenland”, The Oxford Handbook of the Prehistoric Arctic, Max Friesen et al., 2016, pp. 897-913.
Imer, Lisbeth M. “The tradition of writing in Norse Greenland: Writing in an agrarian community”, Northern Worlds - Landscapes, Interactions and Dynamics: Research at the National Museum of Denmark, Proceedings of the Northern Worlds Conference, Copenhagen 28-30 November 2012, ed. H. C. Gulløv, Odense: University Press of Southern Denmark, 2014, pp. 339-351.
Imer, Lisbeth M. Peasants and Prayers: The Inscriptions of Norse Greenland, Odense: University Press of Southern Denmark, 2017.
Imsen, Steinar ed. Rex Insularum: The King of Norway and His “skattlands” as a Political System c.1260-c.1450, Oslo: Fagbokforlaget, 2014.
Larson, Laurence M. “The church in North America (Greenland) in the Middle Ages”, Catholic Historical Review 5, 1919, pp. 175-194.
Nedkvitne, Arnved. Norse Greenland: Viking Peasants in the Arctic, London: Routledge, 2019.
Price, Neil. Children of Ash and Elm: A History of the Vikings, New York: Basic Books, 2020.
Seaver, Kirsten A. “Desirable teeth: the medieval trade in Arctic and African ivory”, Journal of Global History 4, 2009, pp. 271-292.
Wallace, Birgitta. “The discovery of Vinland”, The Viking World, ed. Brink and Price, 2008, pp. 604-612.

 

小澤 実(おざわ みのる)

 1973年愛媛県生まれ。立教大学文学部史学科世界史学専修教授。専門は西洋中世史。著書に、『辺境のダイナミズム』(共著、岩波書店)、『知のミクロコスモス――中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』(共編著、中央公論新社)、『北西ユーラシアの歴史空間』(共編著、北海道大学出版会)、『近代日本の偽史言説――歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』(編著、勉誠出版)、『歴史学者と読む高校世界史――教科書記述の舞台裏』(共編著、勁草書房)などがある。NHK TV アニメ『ヴィンランド・サガ』の時代考証を担当している。

 

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