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ルーン文字の遍歴

第8回 中世のルーン(1): 教会と都市のリテラシー

1ヴァイキング時代から中世へ

 8世紀以来、ユーラシア西部全域に拡大し、各地の政治構造や経済システムに変更を迫るまでの存在となっていたヴァイキングも、紀元1000年頃を境に徐々にその姿を変え始めていました。言ってみれば、ヨーロッパの一員となりつつあったのです。一番大きな要素はキリスト教の導入でした。

 多神教のゲルマン信仰から一神教のキリスト教への移行は、単にヴァイキングの信仰のあり方を変更しただけではありませんでした。教会が建てられることによる景観の変化、ラテン・アルファベットと書物の導入による行政管理や記録システムの再構築、ミサの中心となるパンやワインの重視による食生活の変更、キリスト教倫理に基づく奴隷交易の縮小など、社会全体の変動と言っても良いでしょう。8世紀に始まるヴァイキング時代には、すでにヴァイキングの海外への展開とそれに伴う社会変動という二つの大きな動きによって北欧社会の組み替えが始まっていましたが、10世紀の半ば以降、そこにキリスト教の衝撃、そしてその結果としてのキリスト教国家の成立が加わったわけです。

 ここでは、キリスト教への移行に付随するラテン・アルファベットの導入に注目してみましょう。連載第2回以降で述べてきましたように、ゲルマン人の文字であるルーン文字は、彼らの拡張に合わせて北ヨーロッパに拡大しました。しかしフランク王国の支配領域の拡大やローマ教皇による布教のための修道士の派遣などにより、キリスト教の勢力範囲は、地中海沿岸部から徐々に北ヨーロッパへと広がっていきました。実のところ、この動きはラテン・アルファベットがルーン文字を征服する過程でもありました。これも以前述べましたように(連載第4回)、ヴァイキングが拡大を始める8世紀の段階で、ルーン文字が利用されている空間はスカンディナヴィアとその影響圏、低地地方、イングランドの3カ所に限定されていました。

 ヴァイキング時代が終焉を迎える11世紀半ば以降、ルーン文字も共に使われなくなったと、長らく信じられていました。仮に使ったとしても、たまたまルーン文字を知っていた知識人がノスタルジーに囚われて利用する程度に過ぎないだろう、と。北欧人もまた異教徒が使っていたルーン文字は捨て去って、他のヨーロッパ諸国と同じくラテン・アルファベットの世界にガラッと様変わりしたのだ、というのが学者たちの考えでした。

 果たしてそうなのでしょうか。今回は、ヴァイキング時代以降のキリスト教中世の北欧におけるルーン文字のあり方を考えてみましょう。

2中世のルーン

 さて、ルーン文字はもともと24文字のアルファベット、つまり古フサルクと呼ばれる文字体系として2世紀頃に発明されました。その後、ヴァイキングが海外に拡大する8世紀には、16文字の新フサルクと呼ばれる体系に大きな変化を遂げました。これは、スカンディナヴィア人の中で音韻と表記の関係が変化したことに対応する現象だと考えられます。

 ヴァイキング時代には北欧全体でほぼ意思疎通が可能であった古北欧語も、社会の変化に合わせて分化しました。大雑把に言いますと、12世紀以降、ノルウェーとアイスランドを中心とする西スカンディナヴィア語とデンマークとスウェーデンを中心とする東スカンディナヴィア語に区別されるようになります。これは、どちらかと言えばヴァイキング時代以来の言語のかたちを残す条件が整っていたノルウェーやアイスランドと、イングランドや神聖ローマ帝国のようなキリスト教文化の先進地との往来が頻繁になったデンマークやスウェーデンといった、歴史地理学的な理由による分化です。後者は、低地ドイツ語やラテン語との言語接触により、文法、シンタックス(構文)、語彙そして音韻が大きく変化し、現在のデンマーク語やスウェーデン語に近づいてきます。

 すでに述べたように、キリスト教社会へ移行した結果、北欧社会における主要文字もラテン・アルファベットに移行しました。しかしその一方で、社会の一部では、ルーン文字はなおも用いられていました。詳細は省略しますが、言語の変化に従って、ルーン文字アルファベットは12世紀以降、新フサルクの16文字の体系から中世ルーンと呼ばれる30文字前後の体系へと大幅に増加しました。

図版1 中世ルーン

 以下では中世ルーンの実例を3点確認しましょう。

(a) サレビー教会の鐘

 スウェーデンのヴェステルイェートランド地方に建つサレビー教会の鐘には、ルーン文字が彫られています。

図版2 サレビー教会の鐘(1228年)

Vg210
+ þa : iak : uar : gør : þa : uar : þushundraþ : tu : hundraþ : tiuhu : uintr : ok : atta : fra : bRrþ : gus :+ a+g+l+a+ ÷ ¶ ÷ aue ÷ maria ÷ gracia ÷ plena ÷ ¶ ÷ dionisius : siþ ÷ benediktus ÷

訳:私が完成した時、神の誕生から1228年が経過していた。主よ。恩寵に満ちたアヴェ・マリア。ディオニシウスは祝福されるべし。

教会は中世社会においてラテン・アルファベット普及の中核であることを考えれば、教会の象徴でもある鐘にルーン文字が利用されていること自体が奇妙に思えるかもしれません。しかし実は、サレビー教会には、この鐘だけではなく、ヴァイキング時代以来のルーン石碑も残っていますし、13世紀に建てられた墓地の碑文にもルーン文字が用いられています。それはルーン文字が、ヴァイキング時代が終わった後も、当該教会で長らく利用されてきたことを意味します。

 これと同様に、スカンディナヴィア全土で教会のさまざまな箇所にルーン文字が彫られている事例を見出すことができます。洗礼盤に彫られていたり、墓碑に用いられていたり、教会の壁に書かれていたり、ヴァイキング時代のルーン石碑が教会の一部として再利用されていることもあります。このような事例が多数残っているということは、中世においてルーン文字を理解する人が我々が想定する以上に多かったことを推測させます。

(b) 『ルーン写本』

図版3 1300年頃の『ルーン写本』に収められた「スコーネ法」

 『ルーン写本』(Codex Runicus; AM 28 8vo)はデンマークのコペンハーゲン大学付属アウルトゥニ・マグヌッソン研究所に現在保管されている中世羊皮紙写本の一つです(こちら(https://www.e-pages.dk/ku/579/)で全てのページを確認することができます)。この写本は、1300年頃にスカンディナヴィア半島南部に位置し、当時デンマーク教会の中心となるルンド大司教座のあったスコーネ地方のいずれかの修道院で作成されたと考えられています。写本内容は、スコーネ地方の慣習法をまとめたスコーネ法、教会法、そしてデンマーク王の活動を記した年代記です。これに加えてもう一点、14世紀に作成されたと考えられるルーン文字で記された写本断片(SKB A120)がスウェーデン王立図書館に保管されています。

 すでにラテン・アルファベットによるコミュニケーションが常態化している中、これらの写本はなぜルーン文字で書かれていたのでしょうか。決定的な理由を見出すことはできませんが、これを書き記した筆記者によるノスタルジーではないかとの説が有力視されていました。つまり、普段はラテン・アルファベットで文章を書き記す人物が、すでに一般的には用いられなくなったルーン文字を懐かしんで現行法を記述したという説です。しかし現在の紙と違って非常に高価な羊皮紙に、筆記者個人のノスタルジーに基づく「お遊び」で法を記す、という考えをそのまま受け入れることは私には困難です。

 サレビー教会の鐘の説明で記しましたように、ヴァイキングのルーン碑文自体はなお北欧のあちこちに建ち続けていましたし、中世になってもルーン文字を用いる習慣は残っていましたので、ルーン文字を目にする機会は誰にでもありました。それに加えて、写本は、日記のように個人で隠匿するものではなく、誰かに見せることを前提として作成されるものです。そうしたことを考えると、単なる個人のノスタルジーというよりも、古代文字であるルーン文字で神聖なる法を記すという行為に、筆記者個人の意図を超えたコミュニケーション上の意味があるのではないかとすら思えてきます。

(c) ルーン暦

 中世以降、「ルーン暦」(rune calendar)と総称されるルーン文字で書かれた暦がいくつも伝来しています。スウェーデン出身のオラウス・マグヌスによる『北方民族文化誌』(1555)の第34章では、挿絵をつけながら、以下のように説明されています。

図版4 オラウス・マグヌス『北方民族文化誌』(1555)の挿絵

上に、ゴート文字[ルーン文字のこと]の記された棒を持つ老人と若者が見える。まだ書物のなかった大昔、どのような手段によって、月や太陽やほかの星の働きや影響を、今日では住民のほとんど大部分が知っているように知るのかがわかる。その棒は人の背丈の長さで、両側面に一年の全部の週が彫られ、それぞれの週が7つのゴート文字を持ち、それにより、金色の数字と日曜日の文字が自国の言葉と文字とで区別されている。(谷口幸男訳)

 この16世紀の説明では、「人の背丈の長さ」とあるように、かなり巨大なルーン暦が想定されています。しかし実際に伝存しているルーン暦は、もっと小さなものばかりです。また、この説明からもわかるように、ルーン暦は、もともとキリスト教導入以前からあった天体運行に関する知識をルーン文字で木製の棒に刻んだものですが、キリスト教の導入以降、キリスト教に関連する祭日にも対応するようになりました。

 ここでは数奇な運命を辿った一つのルーン暦を紹介しておきましょう。現在ストックホルムの北方民族博物館に保管されているルーン暦は(現物はこちら(https://digitaltmuseum.se/011023679700/runkalender))、もともと1776年に現在のエストニア沖合のヒーウマー島で製作されたことがわかっています。この島は17世紀にバルト海一円を覆う広大な領土を誇り、「バルト海帝国」と呼ばれたスウェーデン王国に属していましたが、1700年より始まった大北方戦争でスウェーデンがロシアをはじめとする北方同盟に敗北した結果、1721年のニスタット条約でバルト海東岸をロシアに割譲することになりました。ロシア領となったヒーウマー島に住んでいた農民は、現在のウクライナのヘルソン州に移住しコミュニティを形成しましたが、そこは「古きスウェーデン人の街」(Gammalsveskby)と呼ばれることになりました。その後ドイツ人が植民してユニエイト(ギリシャ・カトリック)、プロテスタント、カトリックらが入り混じる多様性のあるコミュニティとなりました。

図版5 「古きスウェーデン人の街」のスウェーデン教区教会

実はここで用いられていたルーン暦が、北方民族博物館所蔵のルーン暦なのです。1900年にヘルソン州からストックホルムに帰還した人物が持ち帰り、そのうちの一つが博物館に収められることになった、ということです。

 ここで私たちが驚くべきは、18世紀になってもルーン暦が作成され利用されていたことです。ダーラナホース(伝統工芸品の木彫りの馬)で著名なスウェーデンのダーラナ地方では、さらに19世紀になってもまだ、「ダーラナ・ルーン」と呼ばれるルーン文字が残っていました。壁や農具などさまざまな場にルーン文字が用いられていたのです。

図版6 ダーラナ県ムーラの村に残る17世紀のルーン文字

ダーラナ地方は、他の地域との交流が少なく、産業化の流れに取り残された地域であったために、古い習慣が他の地域よりも長く続きルーン文字も残っていたのでしょう。

3ベルゲンの木簡

 以上見てきましたように、中世以降、スカンディナヴィア本土の教会周辺では、ラテン・アルファベットと並行してルーン文字が利用されていました。しかし伝来する絶対数は多くはなく、中世人(や近世人)の生活の中で、ルーン文字によるコミュニケーションがどれくらいの範囲でなされていたのか、はっきりとしませんでした。しかし1955年、状況は一変しました。

 スカンディナヴィア半島北西部には、ノルウェー第2の都市ベルゲンがあります。中世のノルウェー王国の王都であった都市で、多島海とフィヨルドに囲まれながら今なお中世の佇まいを残す街でもあります。

図版7 現在のブリッゲン地区

 このベルゲンの一角には、中世のハンザ商人(貿易商人)が商館の倉庫をおいたブリッゲン地区があり、1979年に世界遺産に指定されています。1955年にここで起こった火事の後処理をしている時、大量の木片が発見されました。オスロから駆けつけたルーン学者アスラック・リーストルは、これらの木片を見て驚嘆しました。というのも、それは、中世のルーン文字が刻まれていた木簡だったからです。現在に至るまで総数で700を超える木簡は、12世紀から14世紀の中世ベルゲンの生活の有様を記録する第一級の歴史資料でした。

 木簡の多くは、「A が B を所有する」といった、所有者を特定する木片です。

図版8 ルーン文字で呪術的な内容が刻まれた木簡(N B257)

 積み上げられたさまざまな商品などにタグのように付けられたのでしょう。ベルゲンは多くの商人が行き交う北の商業都市であることを思えば、こうした木片が多数発掘されていることは、いかにこの街が栄えていたのかを示す証拠にもなります。

 しかしそれだけではありません。ベルゲンの木簡にはさまざまな内容が刻まれています。まずこちら(N648)を見てください。

Hafgrími félaga sínum, sendir Þórir fagr kveðju Guðs ok sína, sannan félagskap ok vináttu. Mart skortir mik, félagi! Ekki er munngátit, eingi fiskarnir. Vil ek at þú vitir, en eigi kref þú. Bið bóndann koma suðr till vár ok sjá hvat oss liðr. Eggja hann til; en kref þú einskis hluta mér; ok eigi lát þú Þorstein lang vita. Send mér hanzka nǫkkura. Ef Sigríðr þarf nǫkkurs, þá bjóð henni. Heit þú mér ekki vætta hýð válaði.

訳:ソーリル・ファグルはその同僚ハフグリームに神と自身の挨拶を、真の仲間意識を、そして友情を送りましょう。同僚よ、私は多くのものが足りません。エールもなければ魚もありません。あなたにおわかりいただきたいのは、私に何も要求しないで欲しいということです。私の主人に、南の方に来て、我々がいかなる状態にあるのかを理解するようお願いしてください。主人がそうするようにお願いします。しかし私には何も求めないでください。ソルステイン・ラングには知らせないでください。私に手袋を送ってください。もしシグリーズが何かを求めたら、彼女の求めに応えてください。私が貧しくても私を叱らないでください。

これは木簡のそれぞれの面に文字が刻まれた、ベルゲンの木簡では最も長い内容の一つです。ソーリル・ファグルなる人物が、仲間のハフグリームにいくつかお願いをしている手紙です。ソーリルの生活はどうもカツカツのようで、なんとか苦難を凌げるように北の方に住んでいるご主人にお願いをして欲しい、と依頼しています。求めている商品はどうも手袋のようです。ソルステイン・ラングやシグリーズがソーリルとはどのような関係なのかわかりませんが、こちらについてもハフグリームにお願いをしています。しかしお願いはするけど自分には何も求めてくれるなとはあまりにも虫が良すぎますが。

 別の木簡(B118)も見てみましょう。

unþu·mær·ank·þær·gunnildr·kysmik kanekþik

訳:私を愛してください。私はあなたを愛しています。グンヒルドよ、私に接吻を。私はあなたをよく知っているのです。

これは文字通りグンヒルドという女性にあてたラブレターです。しかし穿った見方をすれば、未だ叶わぬ願い事を書いた絵馬のようなものなのかもしれません。J・クナークがまとめるように、愛を吐露する木簡は実はたくさん発掘されています。平安時代の貴族のように歌を贈る、という雅な方法ではなく、より直接的に自分の要求を記すのがベルゲンのラブレターの特徴です。あまりにも直接すぎて、ここには訳すことが憚られる内容のものもあります。ご関心の向きは、無償でダウンロードできるクナーク博士の論文をお読みください。

4中世都市とルーン

 ベルゲンでの中世ルーンの発見が呼び水となり、その後、ノルウェーのオスロやスタヴァンゲル、デンマークのリーベやコペンハーゲン、スウェーデンのストックホルムといった中世都市で次々にルーン文字が発見されました。北欧は、大陸ヨーロッパやイングランドと比べれば、人口も少ないため、都市化は比較的ゆっくりとしていたのですが、8世紀のヴァイキング時代から1250年頃にかけて、多くの都市が創成しました。さらに、広大な領域を支配する北欧3国の王権の力が強くなる13世紀以降、オスロ、コペンハーゲン、ストックホルムという、現在の首都につながる都市の役割が大きくなり、1397年に始まる3王国のカルマル連合時代に、より強固となりました。北欧もまた、大陸ヨーロッパと同じく、都市の持つ機能が重視される時代に入っていたのです。そしてこれらの都市では、文字を使ったコミュニケーションが大変盛んになりました。

 なぜ都市において文字が使われるようになったのかは、次の3つの視点から考えることができます。第1には、キリスト教化の進展です。キリスト教は聖書をはじめとする文字を重視する信仰システムであり、都市部に設置された教会のような宗教施設では、文字による情報や文字に基づく儀礼が日々行われていました。第2に、商業化の進展です。イタリア商人の場合が著名ですが、北ヨーロッパの商人も、取引や記録に文字を多用していました。第3に、統治システムの浸透です。都市の支配政体は、都市法や業績記録のために文字を必要としました。このようにして、北欧の都市化は、文字が使われる空間、階層、機会を増加させました。

 西欧の場合、都市の活動が盛んになると、ラテン語と世俗語がいずれも盛んに使われるようになります。しかし文字はラテン・アルファベットに限られます。一方、北欧は、ラテン・アルファベットとルーン文字という2つの文字体系が並行して用いられたという点で、西欧とは決定的に違います。それではなぜルーン文字は中世を通じて使われ続けたのでしょうか。これに関して明確な答えは出ていません。しかし私たちが確認したようにルーン文字は、私たちがかつて想定していた以上に広い範囲で用いられていました。中世北欧人は、今の私たちがひらがな、カタカナ、漢字といった異なる表記の文字を同時に扱うように、ラテン・アルファベットとルーン文字を巧みに使い分けていたのかもしれません。聖書や行政で用いられる文字はラテン・アルファベットとなりましたが、交易や日常生活などでは、ヴァイキング時代以来、ルーン文字が大きな役割を持ち続けていた、と言えましょうか。

 

〈参照文献〉

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ヴェセーン、エリアス(菅原邦城訳)『新版 北欧の言語』(東海大学出版会、1988)。
菅原邦城「ベルゲン出土のルーン資料(1)~(3)」『北欧』12(1976)、120-125頁;13(1976)、119-125頁;14(1977)、114-125頁。
谷口幸男「ベルゲン出土のルーン碑文」『大阪学院大学国際学論集』12-1(2001)、53-73頁。
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Andersen, Kasper H. et al. (ed.). Urban Literacy in the Nordic Middle Ages, Turnhout: Brepols, 2021.
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小澤 実(おざわ みのる)

 1973年愛媛県生まれ。立教大学文学部史学科世界史学専修教授。専門は西洋中世史。著書に、『辺境のダイナミズム』(共著、岩波書店)、『知のミクロコスモス――中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』(共編著、中央公論新社)、『北西ユーラシアの歴史空間』(共編著、北海道大学出版会)、『近代日本の偽史言説――歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』(編著、勉誠出版)、『歴史学者と読む高校世界史――教科書記述の舞台裏』(共編著、勁草書房)などがある。NHK TV アニメ『ヴィンランド・サガ』の時代考証を担当している。

 

 


 

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