英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史 コンパニオン・サイト

第1回 「ことばを通時的に見る」とは?

1 連載の開始に当たって

2016年の末に出版された『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』と関連した企画として,今月より「現代英語を英語史の視点から考える」というテーマを掲げ,定期的に連載記事を掲載します.『はじめての英語史』に対する補足的な話題や新しい素朴な疑問を取り上げ,英語を見る新しい視点を提供していきたいと思っています.お付き合いのほど,よろしくお願い致します.

初回となる今回の記事では,「ことばを通時的に見る」ことの意味を考えます.『はじめての英語史』にも本連載にも通底するモノの見方は「通時態」です.観察する対象が英語であれ日本語であれ,あるいは言語であれそれ以外のものであれ,通時的な視点ほど現代において求められる視点はないと,私は考えています.拙著 2.1.3 「共時的な説明と通時的な説明」でこの話題に簡単に触れていますが,本記事では,通時的な視点の重要性について,さらに踏み込んで論じていきたいと思います.

2 写真と動画

私は現在東京に住んでいますが,出張や旅行などで関西方面へ出かけるときには,右手の車窓に朝の富士山を拝む機会があります.帰りは逆で,左手の車窓に夕暮れの富士山を眺めます.見ている対象は同じ富士山でも,季節,時刻,方角,座席位置,気分(仕事が遊びか,学会発表の前か後か等々)によって,毎回異なる景色として印象に残ります.また,新幹線に乗ることが多いですが,たまに在来線に乗っていくと,富士山の味わいは随分異なります.

ここで1枚の写真を思い浮かべてみましょう.東海道新幹線の背景に,青空と冠雪した富士山が映っている写真です.旅行会社の宣伝のような風景ですが,この写真は普段私たちが無意識のうちに採用しているモノの見方を表わしているように思われます.写真の風景は,現実には止まることなく流れ続けている時間のなかのある一瞬を切り取り,凍結したものです.この写真から得られる情報は少なくありません.写真を引き延ばして詳しく観察すれば,多くのことが明らかになるでしょう.富士山付近の天候,何合目まで冠雪しているか,また多少の知識があれば,新幹線の車両形式や撮影時刻・場所の見当もつけられるかもしれません. 

富士山

しかし,この写真だけでは不明なことも多くあります.例えば,新幹線の走っている方向や速度についてはどうでしょうか.はたしてこの東海道新幹線は,上り列車なのか,下り列車なのか.走行速度はトップスピードに近いのか,あるいは何らかの都合で減速しているのか.はたまた事故で停止しているという可能性すらあるかもしれません.写真ではなく動画ならば,このような疑問はたちどころに解決しそうです.

富士山の冠雪と空の様子から判断するに,冬のある晴れた日の午後2時半頃,動画をみれば,東京方面に向かってトップスピードで疾走するのぞみ700系であることなどが分かってきます.すると,もしこの新幹線に「私」が乗っているとすれば、その「私」はおそらく土曜日に大阪で開かれた○○学会での発表を終え,翌日曜日の午後に帰京しているところなのではないか,しかもビールとおつまみでリラックスしている最中だろう,などと想像(妄想?)できるわけです.もし動画から得られる情報やそこからの推測を前提とした上で,写真を見直せば,この静止画像の見方や味わい方もおおいに変わってくるのではないでしょうか.少なくとも,写真に映し出されている情景について「より深く理解できた」という感覚は得られると思います.動画を通じて時間軸に沿った「動き」の知識を得たことで,ある瞬間を切り取った静止画像を鑑賞する仕方がガラリと変わったわけです.

他愛もない例を挙げましたが,上記の例は,ことばを観察する際の2つの視点を説明してくれます.写真の世界観が共時態,動画の世界観が通時態です.2つの視点は鋭く対立しており,同時に両視点を持つことは容易ではありません.しかし,少なくとも必要や目的に応じて視点を切り替えることはできそうです.写真と動画のどちらが優れているかという問題ではありません.それぞれ実用的にも芸術的にも独自の特徴を備えたメディアですし,互いに補い合いあうことで,問題の景色を私たちが総合的に理解するのに貢献してくれます.重要なことは,片方の視点だけに固執せず,両方の視点を切り替えることで,総合的に理解できるようになるということです.

2つの視点を切り替えるという習慣は,ことばを観察し,理解する際にも効果を発揮します.とりわけ動画の視点,つまり「通時的な視点」を意識することで,新たなことばの世界が開けてきます.

3 「不規則な複数形」を通時的に見る

通時的な視点を採用することによって,英語の見方が変わる例として,拙著の3.2節で扱った「なぜ *foots, *childs ではなく feet, children なのか?」という素朴な疑問を取り上げます.現代英語を写真として眺めると,名詞の複数形の体系は,-(e)s 語尾をもつ規則複数と,それをもたない不規則複数とに大別されます.後者を細分化すれば,sheep, hundred のような無変化複数のグループ,phenomena, alumni, algae のような借用語複数のグループ,men, feet, mice のような母音を変化させる「ウムラウト」複数のグループなど,いくつかに分類できます.しかし,分類された各グループに属する名詞は,-(e)s で規則的に複数形を作る名詞に比べれば圧倒的に少数なので,英語使用者にとって,ひっくるめて「不規則」と見えるのは自然の道理です.分析のためにこの写真しか与えられていなければ,上述のような分類に到達するのが関の山であり,畢竟「不規則な複数形」の印象にとどまらざるを得ません.

ここで,1300年ほどの英語の歴史をダイジェストで収録した動画を見てみましょう.古英語期には様々な名詞の複数形の作り方があり,いずれの作り方が適用されるかは個々の名詞によって決まっていました.現在の -(e)s の起源である -as 語尾のほか,-an 語尾,-u 語尾,-a 語尾,-ru 語尾,ウムラウト,無語尾など多くの複数形の形成法がありました(各々の例として,naman “names”, scipu “ships”, suna “sons”, lambru “lambs”, bēc “books”, word “words”).後に「規則的」な複数形語尾となる -as は,確かに古英語期より数的には比較的優勢でしたが,他の形成法も「規則的」と呼び得るほどに多くの名詞を従えていました.実際,同じグループに属する名詞どうしは,複数形の形成のみならず,他の音韻形態的な振る舞いも共通しており,その意味では,グループの規模は大小様々であるにせよ,その内部では一貫した体系を備えていました.

動画を早送りして,古英語期から中英語期へ進んでみましょう.この時代には,母音や -n などの語尾が軒並み消失するという音変化が生じ,古英語の -an 語尾,-u 語尾を含むいくつかの複数形の形成法が廃れました.もともとこれらのグループに属していた名詞は,すでに優勢だった -as 語尾(この時代までには -es 語尾となっていた)に乗り換えることになり,結果として -es 語尾の影響力がますます増大していきました.-es の影響力が増大すると,特に乗り換える必要もなかったその他多くの名詞もその渦に巻き込まれていき,中英語期の末までには現代と比べて遜色のない状況,つまりほぼすべての名詞が -es で複数形を作るという状態へ移行していました.

ただし,多数の名詞の -es への乗り換えは,中英語のある時点で一夜にして起こったわけではありません.時期や方言によって速度に差はありましたが,数世紀をかけてゆっくりと乗り換えが進行していきました.新しい -es 複数形への乗り換えがスムーズにいった名詞もあれば,旧形と新形を長く並存させた名詞もありましたし,乗り換えに頑強に抵抗する名詞もありました.個々の名詞の従順さや頑固さが何によって決まるのかについては,生起頻度やもともと所属していたグループが何かなど,いくつかの要因が提起されていますが,決定的な答えは見つかっていません.

動画をさらに近代英語期へ早送りすると,すでに現代英語の状況に限りなく近い状況が観察されます.しかし,eye の複数形に eyen が使われるなど,まだ古英語以来の古い複数形が散見されました.また,近代英語期以降に新しくラテン語やギリシア語から借用された名詞については,その元言語での複数形がそのまま用いられるなどして,-(e)sの渦に取り込まれないものも出てきました.しかし,このような借用語複数のグループも,現代英語期にかけて渦に巻き込まれ,少しずつ -(e)s複数への乗り換えが起こってきていることも事実です(例えば corpuses/corpora, syllabuses/syllabi, thesauruses/thesauri).

さて,動画も現代英語にたどりつきました.千年以上にわたる歴史を概括すれば,-(e)s複数への乗り換えがゆっくりと進行してきたことが分かります.少々の抵抗はあったにせよ,これが大きな潮流であったことは疑いようがありません.とすれば,まだこの潮流に屈していない feet, children なども,向こう数百年や千年という時間をかけて,最終的に -(e)s複数へ飲み込まれていくという可能性も十分に残っていそうです.つまり,通時的には feet, children などは,2017年現在,まだ -(e)s化の影響を受けていないというだけであり,私たちはその状況を共時的な観点から「不規則」と評しているにすぎないのかもしれません.

 

通時的に見るということは,千年前の過去から現在を経由して千年後の未来へと流れていく時間に沿って英語を観察するということです.現在は,時間という数直線上の一点にすぎず,特別ではないのです.写真では「不規則な複数形」という見え方になるものも,動画で見れば「 -s への乗り換えに現在まで抵抗を続けてきた,かつての規則複数形」という見え方になります.通時的な視点が現在の状況の見方を変える,ということの意味が分かったかと思います.

4 現在は一通過点

私たちは,なぜ foot や child の複数形は *foots, *childs ではなく feet, children なのか,と疑問を抱きます.この問題意識はごく自然のことでしょう.というのは,私たちは現代英語を共時的な視点から見ることに慣れているからです.2017年の時点での英語という言語体系の写真を分析すれば,明らかに feet, children は浮いてみえます.言語「体系」というからには規則的であるはずなのに,いかにも規則から外れたものが紛れているわけですから,目立つのも当然です.したがって,「なぜ?」という疑問が湧いてくるわけです.

この問題意識は確かに自然ではありますが,このまま放っておいてはもったいない代物です.少し手を伸ばしさえすれば,今見ている写真のほかに,動画にもアクセスできるはずだからです.これまで手を伸ばす気にならなかったとすれば,それは動画というメディアの入手の仕方を知らなかっただけなのです.私たちは,ことばを共時的な視点から見ることに慣れているというよりは,共時的な視点とは異なる視点があることを,明示的に教わったことがなかったのです.動画はいつでも近くにあったにもかかわらず,写真だけを眺めて,日々満足したり頭を抱えたりしていた,ということではないでしょうか.

1枚の写真しか資料がないと,それを特別視しがちです.比較するものがないので本来は正しく評価できないはずなのですが,とりわけ自分が生きている時代はどうしても過大評価しがちです.そこで,基準から外れたものは,例外だ,特別だと問題視しやすくなります.しかし,先行する時点での写真が数枚でも手に入れば,各々の時点の状況が独自性をもっていたこと,現在だけが独自性をもっているわけではないことがすぐに分かるでしょう.さらに多くの時点の写真が手に入れば,つなぎあわせることで一種の動画に近づいていきます.すると,一瞬一瞬がやはり独自性をもっており,現在だけが特別なわけではないということに,ますますはっきり気づくことになります.

そして,それは未来の各時点についても当てはまるだろうと推測できます.現在の英語にみられる「例外」や「特別な現象」は,あくまで現在に生きる私たちが共時的に現在だけを眺めて感じている「自世代びいき」にすぎません.現在は,過去から未来に向かって刻々と流れる時間のなかで言語が変化していく,ある一時点の写真です.現在は大きな時間の流れのなかの一通過点にすぎないのです.

5 「英語史のオリジナルな発想」=通時的な視点

最後に改めて強調しておきたいことは,ここでは写真と動画のいずれがより優れた視点かを論じているわけではないということです.それぞれ視点が異なるというだけです.視点が違えば当然見え方が異なるわけですから,各々がそれぞれの立場から「正しい」としか言いようがありません.ただし,私たちは普段共時的な視点に浸かりきっているので,バランスを取るべく,通時的な視点をことさら意識する必要はあると考えています.いずれの視点がベターということはないわけですから,理想的には2つの視点をフィフティ・フィフティの重みで,共存させることができれば最高です.このようなバランスを意識的に作り出し,保つことができれば,豊かなモノの見方ができるようになるのではないでしょうか.

拙著の「はじめに」で,「英語史のオリジナルな発想を示す」ことを狙いの1つとして掲げました.これは,より具体的にいえば「通時的な視点のすすめ」です.通時的な視点により,現在の英語がより深く見えてくることは間違いありません.このことは何も英語という言語にのみ当てはまるわけではなく,日本語を含めた他の言語にも,そして言語以外の森羅万象に当てはまるのではないでしょうか.通時的な視点は,慣れ親しんでいる人が少ないがゆえに価値があります.多くの人が共時的な視点にとどまっているのであれば,通時的な視点への切り替えが自在にできる人は,他の人とは異なる,オリジナルな発想法を手にしているも同然なのです.

今後の連載でも,この「英語史のオリジナルな発想」(=通時的な視点)を示すことを心がけ,英語の素朴な疑問を取り上げていく予定です.


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