英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史 コンパニオン・サイト

第2回 なぜ3単現に -s を付けるのか? ――変種という視点から

1 真剣に答えられてこなかった素朴な疑問

連載記事の第2回となる今回は,英語学習者であれば必ず一度はつまずく「3単現の -s」の話題を取り上げます.拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の3.1節で「なぜ3単現に -s を付けるのか?」という素朴な疑問を取り上げましたが,本記事ではこの問題についてさらに掘り下げて考えます.

3単現の -s とは実に厄介な文法項目です.私が普段学生の書く英文を読んでいて最も多く出会う文法ミスは,冠詞の有無の誤りを除けば,3単現の -s かもしれません.かくいう私自身も,長い英文を書くと,必ず3単現の -s に関してミスを犯します.校正段階で気づけばよいですが,活字として印刷されてから気づき,「やってしまった・・・」と嘆いた経験も1度や2度ではありません.会話は音の世界ですから,ミスしたところですぐに飛んで消えていくので,たいして心配することはありません.しかし,書き言葉で間違えると半永久的に証拠として残りますし,読者に軽率な書き手だと思われるのではないか,場合によっては教養すら疑われるのではないかと,小心翼々たる心地です.

このように厄介な文法事項がある英語に対しては,ブツブツ言いたくもなります. 3単現の -s などというものが,いったいなぜ存在するのでしょうか.文法機能上明らかに有用であるというのであれば,それなりに納得できるのかもしれません.確かに,拙著の pp. 59-60 で触れたように, 3単現の -s の言語的機能がゼロというわけではありません.しかし,書き言葉でも話し言葉でも,-s の有無によって意思疎通の効率が飛躍的に高まる,あるいは低まるという状況は,現実的にはほとんど考えられません.やはり,3単現の -s はなぜあるのか,と問わずにはいられないでしょう.

英語を学ぶ誰しもが,この素朴な疑問を抱くはずです.しかし,奇妙なことに,この問題に真っ向からアプローチした学術的な議論を私は目にしたことがありません.素朴な疑問でありながら,本格的に問われてこなかったのです.その理由は,英語学として追究するにふさわしい問題ではないと認識されてきたからだろうと思います.英語学習者や英語教育者のみならず,英語学者ですら「そういうものだ」と答える以外ないと諦めているかのようです.もちろん,英語学者の「そういうものだ」は,英語学習者の「そういうものだ」とまったく同じではありません.英語学的な考察を加えてみても,たいして手応えがなく,おもしろい問題ではないとして,「そういうものだ」と片付けて済ませている,ということだろうと思います.

拙著3.1節では,真剣に答えられてこなかったこの素朴な疑問に,英語史の観点から回答を与えようと試みました.要約すると,英語史の見方によれば,「なぜ3単現に -s を付けるのか?」ではなく,むしろ「なぜ3単現以外のスロットでは無語尾になってしまったのか?」と裏から問い直すことが重要だ,と主張しました.古英語では3単現以外のスロットでも各々特別な語尾が付いていたのですが,中英語期から初期近代英語期にかけて生じた言語変化により,すべて消失してしまいます.その結果,偶然にも3単現の -s だけが例外的に生き残り,現在の屈折変化表のなかで浮いた存在として見えるだけである,と論じました.

しかし,実際には,この英語史的な解説も,本疑問に対する回答としては表面的であり,不十分です.ところが,ここで英語史的な視点に加えて,「変種」という社会言語学的なもう1つの次元を考慮に入れると,問題の見え方がガラリと変わってきます.この記事を最後まで読んでいただければ,3単現の -s が,単なる些末な文法規則の1つでもなければ,取るに足りない問題でもなく,むしろ英語史上の一級のトピックであることが分かると思います.

2 誤用のようで誤用ではない,古今東西の「3単現」

英語は少なくとも1500年を超える長い歴史をもっており,その間に様々な変種を発達させてきました.「変種」という用語については次節で詳しく述べますが,ひとまず「方言」として理解しておいてください.以下は,古今東西の英語の変種から集めた文です.文中で色文字にしてある主語と直説法現在形の動詞の形(特に -s の有無)に注目してください.

(1) My brother watches TV every night. (標準変種)
(2) We likes it. / They sees them. (イングランド北部・西部の諸変種)
(3) He like her. / That rain a lot there. (イングランド東部のイースト・アングリア変種)
(4) There are some parties that goes on over there. / Maybe the governor go to these parents’ homes. (ニューメキシコ州のイスレタ族変種)
(5) He have paper indors by You (アメリカ黒人変種)
(6) They drink and they makes a lot of noise. (南アフリカ共和国のケープ平地変種)
(7) Þe faur godspellers us schawes Cristes dedes “The four gospellers show us Christ’s deeds.”(初期中英語期,イングランド北部方言で書かれた Cursor Mundi の変種)
(8) they laugh that wins (初期近代英語期,シェークスピアの変種)

私たちが馴染んでいる現代の標準的な (1) の例文を除き,すべての例文に何らかの点で規範的な規則に違反している箇所があるため,「誤用」と見えるのではないでしょうか.単数主語なのに動詞に -s が付いていない例,逆に複数主語なのに -s が付いている例がみられます.また,同一文の同一主語に対応しているはずなのに,1つの動詞には -s が付き,もう1つの動詞には -s が付いていないといった妙な例もあります.

しかし,これらの例は決して「誤用」ではありません.いずれも,その変種を普段使いこなしている話者によって自然に産出されており,その意味において,彼らにとっては「正用」なのです.それぞれの変種に -s を付けるか付けないかの規則が独自にあり,話者はその規則に従っているにすぎません.私たちは,3単現にのみ -s を付けるという現代標準変種の規則しか知らないので,上記のような例を誤用とみなしたくなりますが,異なる変種には異なる規則があるのだと認識すれば,これを誤用と表現するわけにはいかなくなります.変種によって -s の有無に関する規則が異なる,というただそれだけのことです.

ここで,上記の諸変種の各々について詳しく扱うことはできませんが,3つほど取り上げて簡単に解説しましょう.(3) は3単現に -s を付けない規則ですが,実はこのイースト・アングリア変種ではそれ以外のいかなるスロットでも -s を付けないので,要するに一切語尾なしという単純な規則をもつ変種ということになります.多くの英語学習者にとって,うらやましい規則ですね.(6) は,2つある動詞の主語はともに they ですが,2つめのものにだけ -s が付されています.このように,and などで結ばれた2つの動詞が異なる語尾を取るという例は,他の変種にもみられる現象です.(8) もその点では (6) と似ていますが,ここでは主語の they と動詞が隣接しているか否かで -s の付き方が変わるという珍妙な規則が関わっています.

上には挙げませんでしたが,単数で -s を付けず,複数で -s を付けるという,私たちの常識の逆をいくような規則をもった変種もあり,ヴァリエーションの豊かさには目を見張るものがあります.また,規則の複雑性にもしばしば舌を巻きます.例えばアメリカ黒人変種では,(5) のように3単現で -s が付かないと言われることが多いのですが,実際には -s が付かないという絶対的な規則があるわけではなく,-s が付かない傾向があるというにすぎません.では,どのような場合に -s が付いたり付かなかったりするのかといえば,実はその条件はまだ完全には解明されていません.アメリカ黒人変種といっても,一枚岩ではなく,地域によっても異なりますし,何よりも個人差が大きいと言われるからです.-s 語尾が付くか付かないかの決定に関わる要因は複数存在し,各要因の効き具合も変異するため,英語学者も完全には記述することができずにいます.この話題については,拙著の6.3.4で扱っていますので,ご参照ください.

3 標準変種と非標準変種

前節ですでに「変種」という用語を何度も用いてきましたが,ここで改めて理解を深めておきましょう.この用語は英語の variety の訳語です.同じ英語といっても,上にみたように多くのヴァラエティがあります.アメリカ英語とイギリス英語が異なることはよく知られていますが,その他にもオーストラリア英語,カナダ英語もあればインド英語,シンガポール英語,ジャマイカ英語など多数の英語変種が区別されます.このような国・地域別の言葉の違いは一般には「方言」 (dialect) と呼ぶほうが通りがよいと思いますが,「変種」という用語を使うと,国・地域という枠組み以外の切り口による言葉の違いにも対応できるというメリットがあります.

例えば,同じ社会でも階級によって言葉遣いが異なるケースがあります.イギリスでは伝統的に上流階級と下流階級とでは言葉遣いが異なっているとされてきました.例えば,ロンドンの労働者階級と結びつけられてきたコックニー (Cockney) は,独特な発音様式や語法を示しており,1つの独立した変種と考えられます.また,ニューヨークの英語では,階級によって star や four などの単語における r の発音の有無が異なるとされますが,これを各々の階級の独自の特徴ととらえるのであれば,それぞれニューヨークの○○階級の変種などと呼ぶことができます.

ほかに民族や人種という切り口による英語の変種も存在します.いわゆる黒人英語は,すべてのアメリカの黒人たちがその特徴を示すわけではないとはいえ,彼らの多くに共通してみられる独自の言葉遣いがあることは事実であり,1つの変種と考えることができます.ニューヨークのユダヤ系移民とその子孫たちに特徴的な言葉遣いに注目すれば,それもやはり1つの変種とみなすことができるでしょう.ある程度の言葉遣いの違いが見られるのであれば,性別,宗教別,職業別など様々な切り口から変種を考えることができます.

種々の切り口のうち最も重要なものの1つに「標準性」があります.大雑把にいって,英語には「標準変種」と「非標準変種」の2つがあります.私たちが日々学んでいる英語は,国際的な通用度が高く,公式で,威信ある種類の英語,すなわち標準変種です.一方,標準変種以外の無数の変種は非標準変種として束ねられます.すでに挙げたコックニー変種や黒人変種を始め,イギリスの地方方言や世界各地で話されている様々な「訛りの強い」英語などが,非標準変種の例です.

私たちが,英語学習のターゲットとして標準変種を掲げるのは当然のことです.あえて黒人英語やイギリス北部方言を学ぶ理由はほとんどないからです.ただし,この方針の正しさには疑いがありませんが,1つ注意すべきことがあります.国際的に英語でコミュニケーションするとき,話している相手が私たちの習得したのと同じ標準変種を習得しているとは限らないことです.なかには,私たちには太刀打ちできない英語変種で話しかけてくる人もいるかもしれませんし,私たち自身とて,ターゲットこそ標準変種ではあっても,実際にはそこに「日本人英語」という独自変種の要素がある程度入り込んだ混合的な変種を話している可能性があります.逆に,生まれも育ちも生粋のイギリス人あるいはアメリカ人であっても,いつも標準変種を話しているわけではなく,ときには標準からある程度逸脱した非標準変種を用いている可能性もあるのです.

ここで,英語の標準変種に関して疑問がわきます.古くから様々な変種が並存してきたなかで,いかなる歴史過程により標準変種が発展してきたかという疑問です.標準変種には,公式さや威信というポジティブなイメージが付随しています.国際的に広く通用し,コミュニケーション上有用であるから,そのようなポジティブなイメージが付随しているのだ,と主張できそうな気もしますが,歴史的にはむしろ逆です.ある変種に公式さや威信というポジティブな特質が付与されたがゆえに,その変種が広く人々に採用され,それにしたがってコミュニケーション上の有用性が増してきた,というのが歴史的な順序です.14世紀以降,ロンドンの政治的,経済的,文化的中心地としての役割が強まり,その中心地で社会的に影響力をもつようになった階層の人々が用いていた種類の英語が,特に公式で威信ある変種として人々に意識され,それが徐々に洗練されながら,近現代の標準変種へと発展していったのです.

英語の変種および標準変種の発達については,拙著の1.6節で論じていますので,そちらもご覧ください.

4 標準パラダイムは多様な可能性の1つ

前節で,標準変種の外には様々な非標準変種が広がっていること,またその標準変種も歴史のなかで威信を付与されて発展してきたものであることを見ました.この点を念頭に置きながら,3単現の -s の問題に戻りましょう.

拙著では,以下の表1の示す古英語の直説法現在のパラダイム(屈折体系)が,様々な音韻形態変化により,表2の示す現代英語のパラダイムに帰着したことを解説しました.そして,現在の3単現の -s は,いわば歴史の過程で生き残ってきた化石のようなものだと論じました.この歴史的記述に訂正を加えるつもりはありませんが,ここで指摘したいことは,この解説があくまで現代の標準変種を歴史の終着点と設定した上での記述だということです.


表1: 古英語 lufian (to love) の直説法現在のパラダイム
表1: 古英語 lufian (to love) の直説法現在のパラダイム

表2: 現代英語 love の直説法現在のパラダイム
表2: 現代英語 love の直説法現在のパラダイム

しかし,ここで視点を変えて,歴史的記述の終着点を,2節で挙げた例文 (3) でみたイースト・アングリア変種のパラダイム(どこにも -s が現われない)に設定してみましょう.ここでの英語史的な問いは「なぜ3単現を含め,すべてのスロットで無語尾となってしまったのか?」となります.あるいは,終着点をアメリカ黒人変種に設定すれば,「なぜ黒人英語では3単現に -s が付くときと付かないときがあるのか?」となるでしょう.私たちが馴染んでいる表2の示す標準変種のパラダイムに至るまでに,深い歴史的経緯があったのと同じように,これら非標準変種の各々のパラダイムにも深い歴史的経緯があったはずです.特にアメリカ黒人変種のパラダイムについては,-s の有無を条件付ける要因があまりに複雑であり,個人によって揺れも激しいことから,通時的にも共時的にもいまだ完全に説明づけることができないことは,先にも触れた通りです.様々な非標準変種の現状や歴史的発展と比較すると,標準変種のパラダイムは,それなりに単純で説明しやすいほうなのではないかと思われるほどです.

標準変種と非標準変種とを分けずに,古今東西の様々な英語変種にみられる動詞のパラダイムを横に並べてみれば,私たちは間違いなくその多様性に驚かされることでしょう.さらに,パラダイムの背景にある原理の多様性にも驚かされるはずです.標準変種では,人称・数・時制・法という4つの原理の組み合わせによって -s 語尾が付くか否かが決定されますが,いくつかの非標準変種では,それに加えて主語と動詞が隣接しているか否かという区別,2つの動詞が and で結ばれている場合に関する規則などといった,一見すると珍妙な原理が複雑に絡み合って,-s 語尾の有無などが決定されるのです.私たちが生物種の多様性や多様化を知って畏怖するのと同じように,英語変種における動詞の直説法現在形のパラダイムの多様性と多様化には,驚異と感動を覚えざるを得ません.

英語にこのような多種多様な変種があるということを知ると,標準変種のパラダイムも,非標準変種の様々なパラダイムと同列の1つのパラダイムにすぎない,と思えてきます.確かに標準変種は,社会的にみれば公式で,威信があり,「えらい」変種であることは否定できません.日本の英語学習者は学習対象として標準変種を前提としていますので,当然ながら,英語に関する素朴な疑問は,たいてい「なぜ(標準変種には)○○のような妙な現象があるのか?」という問いの形になります.今回の場合には,「なぜ(標準変種では)3単現に -s を付けるのか?」となります.

もし歴史の気まぐれでイースト・アングリア方言が標準変種として採用され,いかなる場合にも -s の付かないパラダイムが標準的となっていたとすれば,おそらく私たちはそこに何も問うべきものを見いださなかったでしょう.また,黒人変種が標準変種として採用され,複雑なパラダイムが標準的となっていたのであれば,今より多くの言語学者が血眼になってそのパラダイムを説明づける原理を発見しようと努めるのではないでしょうか.

5 「3単現の -s の問題」とは何か

多くの英語学習者が掲げる素朴な疑問は「なぜ(標準変種では)3単現に -s を付けるのか?」です.この素朴な疑問を歴史的な観点からとらえ直せば,「なぜ(標準変種では)3単現以外のスロットで無語尾になってしまったのか?」となります.拙著では,ここまでを議論しました.しかし,今回の記事でみたように,歴史的な視点に加えて「変種」という次元を考慮に入れると,この疑問は「様々なパラダイムをもつ変種が並存しているなかで,なぜ3単現にのみ -s を付けるあのパラダイムをもつ変種が標準変種として採用されるに至ったのか?」という問いへと進化します.

なぜ(標準変種では)3単現に -s を付けるのか?
なぜ(標準変種では)3単現以外のスロットで
無語尾になってしまったのか?
様々なパラダイムをもつ変種が並存しているなかで,
なぜ3単現にのみ -s を付けるあのパラダイムをもつ変種が
標準変種として採用されるに至ったのか?

すでに見てきたように,私たちの知っている標準的なパラダイムがすべてのパラダイムのなかで最も合理的であるとか,単純であるとか,有用であると考えられる根拠はありません.このパラダイムが標準変種のパラダイムとなっているのは,それが言語的な理由により標準たるにふさわしいとみなされて選ばれたから,というわけではないのです.むしろ,ロンドンの影響力のある階級の人々が使っていたという社会的な理由により,たまたま件のパラダイムを示していたあの変種が威信を獲得し,人々に広く用いられ,標準変種へ発展していったということです.あるいは,次のように考えてもよいかもしれません.社会的な要因により標準的なものとして受け入れられた変種の文法を後から調べてみたら,特に合理的でも,単純でも,有用でもない,ある意味で他のパラダイムと同様に平凡なあのパラダイムがたまたま含まれていたのだと.

結局のところ,この問題を英語史的にさらに掘り下げようとすれば,いかにして標準変種が発展してきたかという問題に行きつくでしょう.この英語史上の問題については,諸家による白熱した議論が現在も進行中です.

標準変種の3単現の -s の問題は,拙著 3.4.4 「なぜ go の過去形が went になるのか?」で示した,必ずしも合理的でない規則に対する社会的「恭順」の議論とも関わってきます.私がつい3単現でミスしてしまったときの小心翼々たる心地は,この社会的圧力とも関係するのだろうと思います.

なお,本記事で扱った話題については,より専門的に,筆者による論文(堀田隆一 「3単現の -s の問題とは何か――英語教育に寄与する英語史的視点――」『これからの英語教育――英語史研究との対話――』 (Can Knowing the History of English Help in the Teaching of English?). Studies in the History of English Language 5. 家入葉子(編),大阪洋書,2016年.105-31頁.)で論じていますので,よろしければご参照ください.


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